尾崎行雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:19 UTC 版)
1912年(大正元年)12月、西園寺公望が内閣総理大臣を辞め、桂太郎が内大臣兼侍従長から内閣総理大臣に転じることになった。その際、桂は大正天皇から「卿をして輔国の重任に就かしめん」との勅語を受け、さらに組閣に当たって大正天皇の勅語をもって斎藤実を海軍大臣に留任させた。衆議院では尾崎行雄が演説に立ち、桂を次のように弾劾した。 〔前略〕内大臣兼侍従長の職をかたじけのうしておりながら総理大臣となるにあたっても、優詔を拝し、またその後も海軍大臣の留任等についても、しきりに優詔をわずらわしたてまつったということは、宮中府中の区別をみだるというのが、非難の第一点であります。… ただいま桂公爵の答弁によりますれば、自分の拝したてまつったのは勅語にして詔勅ではないがごとき意味を述べられましたが、勅語もまた詔勅の一つである(「ヒヤヒヤ」)。しかして我が帝国憲法は、すべての詔勅 ― 国務に関するところの詔勅は必ず国務大臣の副署を要せざるべからざることを特筆大書してあって、勅語といおうとも、勅諭といおうとも、何といおうとも、その間において区別はないのであります(「ノウノウ」「誤解誤解」と呼ぶ者あり)。もし、しからずというならば、国務に関するところの勅語に、もし過ちあったならば、その責任は何人がこれを負うのか(「ヒヤヒヤ」拍手起る)。畏れ多くも 天皇陛下直接の御責任にあたらせられなければならぬことになるではないか。〔略〕 勅語であっても、何であっても、およそ人間のするところのものに過ちのないということは言えないのである(拍手起る)。ここにおいて憲法はこの過ちなきことを保障するがために(「勅語に過ちとは何のことだ、取消せ」と呼ぶ者あり、議場騒然)…我が憲法の精神は 天皇を神聖 侵してはならない地位に置かれるために総ての詔勅に対しては国務大臣をしてその責任を負わせるのである・・・(「天皇は神聖なり」「退場を命ずべし」と呼ぶ者あり)〔略〕 殊に、ただいまの弁明によれば勅語は総て責任なしという。勅語と詔勅とは違うというがごときは、彼ら一輩の曲学阿世の徒の、憲法論において、このごときことがあるかも知れないが、天下通有の大義において、そのようなことは許さぬのである。〔略〕 彼らは玉座をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸に代えて政敵を倒さんとするものではないか。〔後略〕
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