少数民族に関する案件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:09 UTC 版)
「サンドラ・デイ・オコナー」の記事における「少数民族に関する案件」の解説
連邦最高裁の判事の職についてから1998年までの間、オコナーは、人種に関する案件41件のうち、2件を除く全てにおいて少数民族側の当事者に反対の立場を取った。 1990年と1995年の、ミズーリ対ジェンキンス事件(Missouri v. Jenkins, 515 U.S. 70 (1995))において、オコナーは、ミズーリ州に対して過去の人種間の不平等を是正するために学校関係の予算を増加することを命ずる権限は連邦地方裁判所にはないとした多数意見に同調した。また、1991年のフリーマン対ピッツ事件(Freeman v. Pitts, 503 U.S. 467 (1992))においては、以前に人種分離政策(racial segregation)の疑いで法的調査の対象となった学区において全ての人種統合目標が達成されていなかったとしても、当該学区は当該調査の対象から外されることはありうるとした相対的多数意見に同意する補足意見を述べた。ハーマン・シュワーツ(Herman Schwartz)教授は、この2件は「未だに人種分離政策の事実と影響が残存している」案件であったとして、これらの判断を批判している。 1987年のマクレスキー対ケンプ事件(McCleskey v. Kemp, 481 U.S. 279 (1987))は5対4の僅差で判決が下されたが、オコナーは、白人の警察官を殺害したとして有罪判決を受けたアフリカ系アメリカ人の被告人、ウォーレン・マクレスキー(Warren McCleskey)に対する下級審の死刑判決を維持する多数意見に賛成した。本件においては、第一審判決のあったジョージア州のみならず合衆国全体において、黒人の被告人の方が他の人種の被告人よりも死刑判決を受ける可能性が高いという統計上の証拠が被告人の弁護人から提出されていた。 1996年の、ショー対ハント事件(Shaw v. Hunt, 517 U.S. 899, (1996))及びショー対リノ事件(Shaw v. Reno, 509 U.S. 630 (1996))においては、オコナーはレンキストの書いた多数意見(これは、1993年にオコナーが残した画期的判決を踏襲するものである。)に賛成した。これは、ノース・カロライナ州の二つの選挙区を違法とするものであった。ノース・カロライナ州の12選挙区のうち、これら二つは黒人の候補者の選出を容易にするために作られたものである。同州では、約20%の住民が黒人であるにもかかわらず、独立戦争以降当時まで黒人の議員は全く選出されていなかった。最高裁判決は、これらの選挙区は違法なゲリマンダーであるとした。オコナーは、問題の選挙区の形は「不気味だ(bizarre)」と述べた オコナーは、人種に基づく大学入学者選抜制度の合憲性を認めた判事であるにもかかわらず、ハーマン・シュワーツ教授は、彼女を「連邦最高裁における人種に関するアファーマティブ・アクション攻撃の旗手」と呼んだ。 2008年末に、オコナーは、アファーマティブ・アクションは継続すべきだと信ずると述べている。
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