小泉との決別とは? わかりやすく解説

小泉との決別

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:30 UTC 版)

飯島勲」の記事における「小泉との決別」の解説

小泉首相退任した後は、以前のように小泉議員秘書務めていた。2007年自民党総裁選では、小泉チルドレンなどによる「小泉総裁の再登板実現する有志の会」のメンバー接触し小泉登板への準備進めていたが、小泉は再登板否定して飯島とは不仲とされる福田康夫支持飯島同年9月13日付で小泉事務所辞表提出した小泉事務所飯島辞表直ち受けず保留にしている。 飯島福田対立発端は、小泉首相に就任した2001年終戦の日靖国神社参拝目指した際、参拝是とする飯島安倍晋三首相官邸不在間隙を突く形で福田小泉説得参拝前倒しさせたことだとされるこの内幕を取材したジャーナリスト須田慎一郎によると、小泉福田の、「唐家璇終戦の日外せば中国政府問題視しない」とする説得受け入れたものの、中国最大限糾弾小泉対し行い小泉福田対する強い不信感をこのときに抱いたことを明らかにしている。他方飯島安倍はこのことをきっかけに関係を強めていったとされ、安倍短期間自民党幹事長官房長官首相に上り詰めた裏には、飯島との良好な関係が存在したこともその一因挙げられる第二次訪朝の際には、裏の交渉ルートある朝総連許宗萬(許は北朝鮮最高人民会議代議員というもう一つ肩書き有する)とのパイプ重視する飯島と、正規外交ルートである田中均中心とした日朝外務省重視する福田との間で対立再燃小泉飯島主張重視したことにより、福田官房長官辞任した一方で、この訪朝劇は自民党幹事長だった安倍との間でも軋轢生む結果になり、小泉安倍の関係が一時険悪化する(同年末頃には修復)。訪朝後、小泉甘利明副幹事長代読の形で朝鮮総連祝電送っている。なお、飯島内閣官房参与になった2013年増元照明飯島第二次訪朝での態度について、「なぜ、被害者をまだ幽閉し返さない国家の、まだ国家ではなく集団ですね、頭目となぜ笑いながら握手できるのか」と批判し、「官邸体制締めるという意味ではあの方適任なのかもしれませんが、朝鮮半島問題には関与していただきたくないというのが正直な気持です」と述べた

※この「小泉との決別」の解説は、「飯島勲」の解説の一部です。
「小泉との決別」を含む「飯島勲」の記事については、「飯島勲」の概要を参照ください。

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