小千谷市・真人村の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 08:07 UTC 版)
1954年(昭和29年)3月10日に小千谷市が誕生したが、当時の位下市長は人口約3万人という規模に満足せず、中越では長岡市に次ぐ規模の人口8万人の都市を作る計画を立てた。その計画には中魚沼郡真人村との合併も含まれていた。 同時期に真人村の各所から代表が選出され協議会が結成され、小千谷市との合併も協議された。真人村北部の4部落が強く主張していたが、群境を越えた合併になるということもあり決議に至らなかった。しかし、同年10月に隣接する岩沢村が合併し、急速に真人町でも合併の気運が高まり、11月25日市村で同時議決した。こうして、翌年の1月1日に編入合併が岩沢村と同時に行われた。 1956年(昭和31年) - 8月25日 大平開拓地で調査が行われ、縄文時代の住居が発掘される。 1957年(昭和32年) - 8月6日 大平遺跡住居址の推定復元工事が開始。同月16日まで続いた。 1957年(昭和32年) - 8月13日 真人北部連絡事務所(真人農協山新田支所内)に電話開通。部落最初の電話であった。また、豪雪地帯であるため通常の線ではなく米国製の引込線が用いられた。総工費130万円。同日に市之沢にも公設電話が架設され、12月には北山に架設された。 1964年(昭和39年) - 6月16日 新潟地震発生。 1971年(昭和46年) - 9月11日 大平地内で約4,000年前の炉址が発掘される。 1971年(昭和46年) - 11月 桂平部落が全戸移動し廃村。 1981年(昭和56年) - 4月1日 真人・岩沢中学校を統合して、南中学校を開校。校区は真人、岩沢、川井、塩殿。
※この「小千谷市・真人村の合併」の解説は、「真人町」の解説の一部です。
「小千谷市・真人村の合併」を含む「真人町」の記事については、「真人町」の概要を参照ください。
- 小千谷市・真人村の合併のページへのリンク