小千谷談判とは? わかりやすく解説

小千谷談判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 23:57 UTC 版)

河井継之助」の記事における「小千谷談判」の解説

新政府軍陸奥会津藩征討のため長岡ほど近い小千谷(現・新潟県小千谷市)に迫ると、世襲家老首座稲垣平助先法家真木内蔵介、以下上家臣安田九里太夫、武作之丞、小島久馬衛門花輪彦左衛門毛利右衛門などが恭順・非戦を主張したこうした中で継之助は恭順派の拠点となっていた藩校崇徳館に腹心鬼頭左衛門小隊与えて監視させ、その動き封じ込めた。その後抗戦恭順を巡る藩論抑えてモンロー主義影響受けた獨立特行を主張し新政府軍との談判臨み旧幕府軍と新政府軍調停を行う事を申し出ることとした。 5月2日6月21日)、新政府軍監だった土佐藩岩村精一郎恭順工作仲介し尾張藩紹介長岡藩の継之助と小千谷慈眼寺において会談した会談において継之助は新政府軍批判し長岡領内への進入戦闘拒否通告した

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小千谷談判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 05:46 UTC 版)

北越戦争」の記事における「小千谷談判」の解説

5月2日6月21日)、新政府軍監だった土佐藩岩村精一郎恭順工作仲介し尾張藩紹介長岡藩河井継之助小千谷慈眼寺において会談長岡獨立特行を岩村精一郎認めなかった。

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