家庭での聖書研究、討議集団
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「アン・ハッチンソン」の記事における「家庭での聖書研究、討議集団」の解説
ハッチンソンは自分の家で形式張らない聖書研究と討議を行う集まりを始め、ピューリタン知識層に訴えるものがあった。友達や隣人を招き、当初は皆が女性だった。参加者は自由に宗教的信念について疑問を出し、アメリカインディアンの奴隷化など人種的偏見を非難した。ハッチンソンは聖職者のやり方で聖典をよく研究した。聖典についてピューリタンの伝統的解釈を教えるよりも、独力で聖書を深く掘り下げて研究した。しばしばその精神的解釈はピューリタンの日曜説教から学んだことと律法的な読みを除いてはるかに異なっていた。特にハッチンソンはアダムとイブの話について標準的な解釈に常に異議を唱えた。これはピューリタンにとっての重要な主題であり、原罪の教義に対して鍵となるものだった。しかし、通常は罪の源として特に女性に非難を向けるように引用され、ピューリタン社会の極端な父系構造を正当化するために使われていた。 ハッチンソンは女性の権利の欠如とインディアンに対する人種的偏見について強い個人的関心を持っていたので、それら社会的関心にも聖書原理の個人的解釈を適用した。さらに、ピューリタンの道徳や法典のあるもの、また牧師の権威について明け透けに異議を唱えたので、これが後に重荷になった。 ハッチンソンの教えが広まり、多くの男性を含む新しい追随者を惹き付けた。彼等の中には、1636年にマサチューセッツ湾植民地総督になったヘンリー・ベイン卿のような男性もいた。家で行う研究集団の参加者は80人にも上り、地元の教会に場所を移さねばならなかった。 聖職者達はハッチンソンの集会に反対するようになり、表面上はそのような「非公認」の宗教の集まりが信心深い者達を混乱させるかもしれないと言っていた。しかし、次第にその反対は明け透けに女嫌いの言葉が出るようになった。ハッチンソンは彼女に対する批判に注意を払わなかった。批判者が女性は教会の中では沈黙を保つ必要性を聖書の言葉で引用したとき、彼女はテトス(聖書、テトスへの手紙)が「年取った女性は若い者に教えるべきである」と言った句を引いて答えた。
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