宮崎市立内海小学校
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宮崎市立内海小学校 | |
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北緯31度45分35.0秒 東経131度28分19.6秒 / 北緯31.759722度 東経131.472111度座標: 北緯31度45分35.0秒 東経131度28分19.6秒 / 北緯31.759722度 東経131.472111度 | |
過去の名称 |
内海小学校 簡易内海小学校 尋常内海小学校 内海尋常小学校 内海尋常高等小学校 青島村内海国民学校 青島村立内海小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮崎市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
所在地 | 〒889-2301 |
宮崎県宮崎市内海1024番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
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宮崎市立内海小学校(みやざきしつ うちうみしょうがっこう)は、宮崎県宮崎市内海にある公立の小学校。
概要
- 歴史
- 1874年(明治7年)に「内海小学校」として創立。現校名になったのは1951年(昭和26年)。2024年(令和6年)に創立150周年を迎えた。
- 校章
- 中央に「小」の文字を配している。
- 校歌
- 作詞は高橋家成、作曲は有馬俊一による。歌詞は3番まであり、1番の歌詞中に校名の「内海」が登場する。
- 通学区域
- 宮崎市のうち「大字内海」[1]。中学校区は宮崎市立青島中学校[2]。
沿革
- 1874年(明治7年) - 天神山東に校舎を新築し、「内海小学校」が開校。
- 1884年(明治17年)- 南側に校舎を移転。
- 1886年(明治19年)頃 - 小学校令の施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易内海小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行により、北那珂郡「青島村」が発足。
- 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常内海小学校」に改称。
- 1892年(明治25年)- 「内海尋常小学校」に改称。
- 1901年(明治34年)5月 - 現在地に校舎を新築の上、移転を完了。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科の修業年限(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1919年(大正8年)9月 - 高等科(2年制)を設置の上、「内海尋常高等小学校」に改称。
- 1925年(大正14年)3月 - 校舎を増築。運動場を拡張。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「青島村内海国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1943年(昭和18年)4月 - 北校舎が完成。
- 1945年(昭和22年)7月17日 - 空襲により、5教室が全焼。
- 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1949年(昭和24年)
- 1951年(昭和26年)3月25日 - 宮崎市への編入により、「宮崎市立内海小学校」(現校名)に改称。
- 1953年(昭和28年)5月 - 中校舎が完成。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 内海分校が青島中学校から分離の上、「宮崎市立内海中学校」として独立。
- 1961年(昭和36年)2月 - 学校給食を開始。
- 1964年(昭和39年)3月 - 納屋ヶ平分校を廃止。
- 1966年(昭和41年)3月31日 - 宮崎市立青島中学校への統合により、宮崎市立内海中学校が閉校。
- 1968年(昭和43年)3月 - 鉄筋コンクリート造2階建て新校舎1棟(17教室)が完成。
- 1970年(昭和45年)
- 1974年(昭和49年)11月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1976年(昭和51年)3月 - 体育館が完成。
- 1989年(平成元年)8月 - 運動場を整備。
- 1990年(平成2年)3月 - アコウの木を学校の木に制定。
- 1992年(平成4年)10月 - 芝張りを実施。
- 2003年(平成15年)4月 - 2学期制を試行。
- 2004年(平成16年)
- 3月 - 新正門が完成。
- 4月 - 2学期制の本格運用を開始。
- 9月 - エレベーターを設置。
- 2005年(平成17年)5月 - 運動場を整備。
- 2006年(平成18年)11月 - 体育館の耐震工事が完了。
- 2007年(平成19年)3月 - 新プールが完成。
交通
- 最寄りの鉄道駅
周辺
- 内海郵便局
- 宮崎市漁協 内海支所
- 守山神社
脚注
関連項目
外部リンク
- 宮崎市立内海小学校のページへのリンク