定期旅客運航開始とは? わかりやすく解説

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定期旅客運航開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 04:00 UTC 版)

日本航空の歴史」の記事における「定期旅客運航開始」の解説

1951年10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便としてアメリカノースウエスト航空から乗員とともにリースしたマーチン2-0-2型機「もく星号」で羽田空港伊丹空港板付空港間の定期旅客運航開始したその後1951年11月1日より正規ダイヤ運航移り羽田空港千歳空港間の運航開始するとともに、より大型ダグラス DC-4B型機もノースウエスト航空からリースした当初国内線運航のみで、しかも当時日本乗り入れていた旧連合国陣営外国航空会社5社による共同設立会社であるJDAC (Japan Domestic Airline Company)との運航委託条件とした営業免許だったこともあり、JDACの1社であるノースウエスト航空機材運航乗務員による委託運航という体制だった。しかし翌1952年4月に、ノースウエスト航空乗務員運航していた「もく星号」が伊豆大島墜落事故起こしたこともあり、1952年10月ノースウエスト航空との運航委託契約が切れるのを待って新たに購入したダグラスDC-4B型機「高千穂号」によって自主運航開始したまた、これに先立つ1952年6月には、国内ローカル線用にイギリス製の近距離向けプロペラ機デ・ハビランド製DH.114 ヘロン型機を発注した他、1952年7月には、本格的な国際線運航向けてイギリス製の最新鋭ジェット旅客機であるDH.106 コメット型機の最新型であるコメットIIを2機発注した。さらに1952年9月にはダグラスDC-4B型機に代わる国際線主力機として、DC-4Bを大型化エンジン改良、更に客室与圧化し快適性増したダグラスDC-6B型機も相次いで発注した。 しかしDH.114 ヘロンは翌1953年8月公布施行され日本航空株式会社法(昭和28年法律154号)の規定により、日本航空運航路線国際線および国内幹線のみに限定されることとなったため、自社運航乗務員訓練用使用した後、1954年2月から8月にかけて日本ヘリコプター現在の全日空)に賃貸しその後同社売却することになったまた、先に発注したコメットIIも、その後設計ミスにより空中分解する連続事故起こし運航停止となったため、その後多く航空会社同様に発注キャンセルした。 なお、「日本航空株式会社法」の公布に基づき1953年10月1日には特殊会社である新しい「日本航空株式会社」が誕生しそれまで日本航空株式会社同日付で新会社一切権利義務承継して解散した現在の日本航空株式会社はこのときの新会社ある日航空株式会社法人格引き継いでいるため、同日設立年月日となっている。

※この「定期旅客運航開始」の解説は、「日本航空の歴史」の解説の一部です。
「定期旅客運航開始」を含む「日本航空の歴史」の記事については、「日本航空の歴史」の概要を参照ください。

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