安倍清騒動とは? わかりやすく解説

安倍清騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 09:04 UTC 版)

安倍清右衛門」の記事における「安倍清騒動」の解説

刈田郡曲竹肝入書いた天明三年癸卯大飢饉記録』(『蔵王町史』資料編)や、藩士の源意成が著した飢饉録」に、天明3年1783年9月仙台城下で発生した安倍清騒動が記されている。 この年仙台藩大冷害で565000余石の減収で、餓死者・疫病者は合わせて30万人のぼった飢饉対応して、藩は国産会所8月2日から1人1升の「御穀御払」をおこなった続いて石巻港から出港させる直前買米を、清右衛門判断至急城下回送し、二日町米商人大黒屋清七の店に「穀産処(御穀売方所、米御売方所)」を設けて市民向けに「払米」を販売させた。9月14日から清七屋敷前大木で柵をつくり、出入口から1人ずつ中に入れ勘定所役人らの立合のもと、1人玄米1升宛の払米をした。しかし、払米は朝五ツ半から八ツ(午前9時から午後2時)ごろまでと限定された上に、「急渇之者」が大勢押しかけたことで、死人が出る騒ぎとなった9月18日には払米売り尽くされ買えなかった者が若年寄の大条内蔵人の屋敷嘆願をしに行き月番奉行への掛け合い行なわれた。 9月19日、米を買えなかった者たちが広瀬川中瀬河原大勢集まったその日の夜、安倍清右衛門屋敷数千人に膨れ上がった群衆押し掛けた。代表となった大番士布沢直談判したが、屋敷では清右衛門外出しているなどと言って交渉進まず、やがて耐え切れなくなった群衆屋敷内押し込み、門や玄関、表塀、裏長屋打ち破った。「御穀売方所」であった大黒屋同様に打ちこわされ、その店先鍛冶髪結・焼肴屋・香具師など4人の者が捕縛された。 「飢饉録」によれば清右衛門による郡村留のため仙台城下に米が入らず諸人餓死追いやられたまた、御納戸金で買上げた米を御恵みとして払い下げたが、金1両に2斗の相場なのに、1斗8升の高値売り払った。さらに、前年から在々御囲穀を残らず買いあげて、江戸へ回米売却しながら、自分はまだ多量の米を囲置しているということであったこのようなことから、自然誰言うとなく大勢集り騒動になったということであった阿刀田令造天明天保に於ける仙台飢饉記録15頁)。 買米制によって領内産米売却して藩は財政再建図ろうとしたが、その政策凶作による城下町飯米の不足を招いた民衆は、それが安倍個人の米買い占めよるもの解釈し、また買米払い下げ価格市中価格よりつりあげられたことから、町民だけでなく藩士恨みをも買って安倍とそれをとりまく商人たち非難集中する結果となった布沢捕縛された者たちは上をも恐れざる所行として厳しく糾弾されたが、清右衛門のしたことも「奸巧(かんこう)」深く民衆怨みをかったとして、一派召し捕り詮議が行なわれた。その結果清右衛門米穀売方所を廃止払米は四穀町米問屋行なわせることとなった

※この「安倍清騒動」の解説は、「安倍清右衛門」の解説の一部です。
「安倍清騒動」を含む「安倍清右衛門」の記事については、「安倍清右衛門」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「安倍清騒動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「安倍清騒動」の関連用語

安倍清騒動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



安倍清騒動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの安倍清右衛門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS