安井曽太郎とは? わかりやすく解説

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やすい‐そうたろう〔やすゐソウタラウ〕【安井曽太郎】

読み方:やすいそうたろう

1888〜1955]洋画家京都生まれ浅井忠師事渡仏してピサロ・セザンヌなどの影響を受ける。帰国後、二科会参加、のち退会し一水会結成日本の風土に即しつつ、明るく近代感覚あふれる画風確立した文化勲章受章


安井曾太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 20:03 UTC 版)

安井 曾太郎(やすい そうたろう、1888年5月17日[1] - 1955年12月14日[1])は、大正から昭和にかけての洋画家梅原龍三郎と並び称された[1]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 安井曽太郎 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2023年3月6日閲覧。
  2. ^ 江澤館公式サイト”. 2019年10月28日閲覧。
  3. ^ 帝国美術院の改組を閣議承認『大阪毎日新聞』昭和10年5月29日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p410 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 二科脱会の四人、石井白亭らと結成『東京朝日新聞』1936年(昭和11年)12月23日.『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p26 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  5. ^ 審査員の顔ぶれ内定『東京朝日新聞』(昭和12年7月27日).『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p665
  6. ^ 『官報』第5239号、昭和19年7月3日。
  7. ^ 小田切峯子は外交官の娘で、満洲のホテルで働いていたが、5ヵ国語に堪能な、政財界からも一目置かれた婦人で、「金蓉」と呼ばれていた。-山内マリコ「モデルの一生 十選(7) 安井曾太郎「金蓉」」(日本経済新聞・2021年1月12日(火)第28面)。


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