里見勝蔵とは? わかりやすく解説

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里見勝蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/01 06:31 UTC 版)

里見 勝蔵(さとみ かつぞう、1895年明治28年)6月9日 - 1981年昭和56年)5月13日)は、日本洋画家国画会会員[1]。洋画家の山内滋夫は孫にあたる[2]

人物

京都市四条生まれ。東京美術学校卒業後にフランスに留学。二科展に入会し活躍。1926年には前田寛治佐伯祐三らと1930年協会を設立したほか、児島善三郎らと独立美術協会を創立し、フォーブ運動を展開した。終戦後に国画会に入会。著書に「ブラマンク」など[3]

コレクション

脚注

  1. ^ 里見勝蔵 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2021年1月9日閲覧。
  2. ^ 山内滋夫
  3. ^ 里見勝蔵』 - コトバンク
  4. ^ 里見勝蔵 略歴”. www.g-ashiya.jp. 2021年1月9日閲覧。


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