波太海岸と洋画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 20:42 UTC 版)
波太海岸は、多くの洋画家が訪れて風景画を描いたことで知られる。写生旅行を繰り返した浅井忠が1888年(明治21年)に鉛筆スケッチ「房州波太村」(千葉県立美術館蔵)を描いたのが、写生地として波太海岸が知られる契機となった。 2017年時点でも太海で旅館を営む江澤館は、もともと船大工を営んでいたが、明治末期から画家を宿泊させるようになり、1913年(大正2年)に旅館に転業した。房総で鉄道が開通し交通の利便性が増したことや、浅井の流れを汲む太平洋画会(石川寅治、中川八郎ら)が写生地として選んだことも、写生地としての確立に貢献した。当地で描かれた作品には、以下のようなものがある。 浅井忠『房州波太村』 安井曽太郎『外房風景』 櫻田精一『太海』 林倭衛『太海』 小堀進『真夏の海(太海)』 曾宮一念『波太漁家』
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