存在論的把握
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 18:14 UTC 版)
美の概念は、この世界に具体的に存在する事物、また事象としての「美しいもの・こと」(独語:Das Schoene)と必然的に関わりを持つ。しかし、この「美の概念(存在)」とは何であるのか、人が経験し、ときに感動する「美しさ」の本質については、哲学史にあって異なる解釈がある。 二つの代表的な考え方があり、(1)美の存在は、事物や事象が備える固有の性質であるとする「存在論的把握」と、(2)美の存在は事物に帰属するのではなく、それを知覚し、認識する人間主観が、事物や事象に付与する性質であるとする「認識論的把握」がある。おおまかにいえば、前者(1)は古典ギリシア哲学以来優勢であった見解であり、後者(2)は近世以降に登場する哲学的見解である。 存在論的把握の代表的な論者は、プラトン、アリストテレス、プロティノス、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、フリードリヒ・シェリングである。これにはさらに、(1)美の性質を部分の均整にもとめる方向と、(2)部分性を否定し斉一であることをもって美の根本規定とする方向という、まったく対立する態度があらわれる。 ただし美はまったく認識と離れて存在するものではない。すでにプラトンにおいて、美は愛すなわち認識の欲求的能力の志向的対象として把握されている(『饗宴』)。また美の性格を均整あるいは斉一に求める論も、認識への適合性に多くその論拠をおいている。トマスは美を究極には神に帰せられる属性とするが、「視覚に快いととらえられるものは美しいと呼ばれる」(『神学大全』)とし、その人間的認識能力とのかかわりを否定していない。 芸術家美学と呼ばれる画家や文人による美論も、おおくこうした方向によることが多い。レオナルド・ダ・ヴィンチにとって、芸術家は自然の幾何学的構造を美というもっとも理想的な状態において再提示する能力を持つ幾何学者であり、そのことが彼をして対象のより正確な把握へと赴かせた。ホガースの美の理論は、線とその印象を追求することによって、素描の美的な効果について研究するとともに、美そのものの性質を線の形状から説明しようとした。 なおこうした、存在それ自体の性格として美を把握する方向は、多く他の価値概念と美が共通するないし同一であるとの論に帰着する。シェリングは美を客観的なものの絶対性としつつ、根本においては善や美と同一であるとする。これについては後節「#他の価値領域と美の関係」を参照。
※この「存在論的把握」の解説は、「美」の解説の一部です。
「存在論的把握」を含む「美」の記事については、「美」の概要を参照ください。
- 存在論的把握のページへのリンク