妓生と公娼とは? わかりやすく解説

妓生と公娼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 09:24 UTC 版)

日本の慰安婦問題」の記事における「妓生と公娼」の解説

妓生」を参照 朝鮮伝統的に存在していた妓生キーセン)についてもこれが公娼か否かについての議論がある。川田文子は、朝鮮には妓生女社堂牌(ヨサダンペ)、色酒家など様々の形態があったが、特定の集娼地域で公けの管理を行う公娼制度とは異なるとした。また、金富子梁澄子評論家金両基らは、妓生制度売買春制度化する公娼制度とは言えないと主張している。金両基多く妓生売春とは無縁であり、漢詩などに名作残した一牌妓生黄真伊のように文化人として認められたり、妓生純愛描いた春香伝のような文学題材となっており、70年代から90年代にかけて主に日本人旅行客接待使われキーセン観光はとはまったく違うと反論した日本統治時代の朝鮮において日本人認識事例としては、山地白雨による「妓生日本芸者娼妓一つにしたやうな者で、娼妓としては格が高く芸者としては、其目的に添はぬ処がある」「其最後目的は、枕席侍して纏綿の情をそそる処にある」という1922年記録や、建寺土左衛門正木準章)による「妓生とは朝鮮人芸者のことで京都芸者のようだ」「蝎甫(カルボ) は売春婦である」という同年記録1934年京城観光協会朝鮮料理 宴会の栞』の「エロ方面では名物妓生がある。妓生朝鮮料理屋でも日本の料理屋でも呼ぶことができる。尤も一流妓生三、四日前から約束して置かないと仲中見られない」「猟奇的方面ではカルボ云うのがある。要するにエロ・サービスをする女である」「カルボ売笑婦」という記録があり、妓生売春婦カルボ)を区分して書かれていた。 川村湊は「李朝以前妓生と、近代以降キーセンとは違うという言い方なされる江戸期吉原遊郭と、現代吉原ソープランド街が違うように。しかし、その政治的社会的制度的な支配従属構造は、本質的に同一である」とのべ、現代ソウルの弥亜里88番地ミアリテキサス清凉里 588といった私娼窟にも「性を抑圧しながら、それを文化という名前で洗練させていった妓生文化根本にあるものはここにもある」と述べている

※この「妓生と公娼」の解説は、「日本の慰安婦問題」の解説の一部です。
「妓生と公娼」を含む「日本の慰安婦問題」の記事については、「日本の慰安婦問題」の概要を参照ください。

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