妓生と芸者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:56 UTC 版)
山地白雨が1922年に刊行した『悲しき国』 (自由討究社) では「妓生は日本の芸者と娼妓を一つにしたやうな者で、娼妓としては格が高く、芸者としては、其目的に添はぬ処がある」「其最後の目的は、枕席に侍して纏綿の情をそそる処にある」と記している。 同じ1922年に刊行された柳建寺土左衛門 (正木準章)『朝鮮川柳』(川柳建寺社) では妓生を朝鮮人芸者のことで京都芸者のようだとし、蝎甫 (カルボ) は売春婦であると書かれている。 1934年の京城観光協会『朝鮮料理 宴会の栞』では「エロ方面では名物の妓生がある。妓生は朝鮮料理屋でも日本の料理屋でも呼ぶことができる。尤も一流の妓生は三、四日前から約束して置かないと仲中見られない」とあり、「猟奇的方面ではカルボと云うのがある。要するにエロ・サービスをする女である」「カルボは売笑婦」であるとして、妓生とカルボとを区分して書かれていた。 1940年当時の妓生の実態を朝日新聞記者が調査した内容によると「妓生の大半が売笑婦(売春婦)」である事をルポタージュしている。 これより1945年の日本敗戦までについては慰安婦を参照。
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