奇跡の物語とは? わかりやすく解説

奇跡の物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 20:26 UTC 版)

聖ゼノビウスの生涯の場面」の記事における「奇跡の物語」の解説

ロンドンナショナル・ギャラリーには2点板絵がある。これらの1つ、『聖ゼノビウスの青年期4つの場面』は左から右に以下の出来事表している。1) 聖ゼノビウスは両親選んだ花嫁拒否しその後立ち去る。2) 聖ゼノビウスが洗礼受けている。3) 聖ゼノビウスの母親フィレンツェ司教から洗礼受けている。4) 聖ゼノビウスは、ローマで教皇ダマスス1世によってフィレンツェ司教として聖別されている。 2点目のロンドン板絵は、『聖ゼノビウスの3つの奇跡』を表しており、3つの場面描かれている。左側では、2人青年母親酷く扱い、彼女に呪われていた。聖ゼノビウスは彼らにエクソシスムを施す。中央で聖ゼノビウスは「ガリア高貴な女性」の息子生き返らせる。実は、女性ローマへ巡礼をしている間、彼女は息子司教任せていたが、息子死んでしまったのである右側大聖堂の外では、聖ゼノビウスは、キリスト教徒になることを約束していた盲人乞食視力回復させるニューヨークメトロポリタン美術館にも、さらに『聖ゼノビウスの3つの奇跡』と呼ばれる板絵がある。左側で、聖ゼノビウスは青年葬列遭遇し青年生き返らせている。中央で、聖ゼノビウスは聖人遺物アペニン山脈運んだ運搬者(棺桶の中の骸骨として示されている)の死を嘆いている一群を見つけ、遺物助け借りて運搬者を生き返らせている。右側には、エウジェニウス(聖人にもなった)と呼ばれる司教3回表されている。司教宮殿内部で、聖ゼノビウスは司教塩水入ったカップ与え司教はそれを運ぶ。そして、司教は、死の前の典礼受けていなかった女性親戚塩水投与し、彼女は生き返るドレスデンアルテ・マイスター絵画館には、『3つの場面表され奇跡と聖ゼノビウスの死』を描いている板絵があり、1つ奇跡が左から右へ3つの場面で示されている。少年荷車轢かれ殺され取り乱した未亡人母親少年教会に連れて行く。少年は聖ゼノビウスの祈り描かれていない)によって蘇り母親と再びいっしょになる。右には、死の床にいる聖ゼノビウスが描かれている。 マーティン・デイヴィスを含む一部学者は、現存している連作は完全なものではないかしれない考えた。というのは、聖ゼノビウスのよりよく知られている奇跡がこれらの連作には表されていないからである。その奇跡というのは、聖ゼノビウスの触れた枯れたニレ一気蘇りを茂らせというものである。しかしのちに、聖ゼノビウスに関するさまざまな文献のなかでクレメンテ・マッツァ修道僧書いた『聖ゼノビウスの生涯』(1475年)がこの連作典拠であることが同定されると、不完全説は用いられなくなった絵画はマッツァ修道僧著作物語の展開細部、章の分割明確に従っており、出来事の展開に欠けているところはない。

※この「奇跡の物語」の解説は、「聖ゼノビウスの生涯の場面」の解説の一部です。
「奇跡の物語」を含む「聖ゼノビウスの生涯の場面」の記事については、「聖ゼノビウスの生涯の場面」の概要を参照ください。

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