奇跡の理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:29 UTC 版)
「ブランデンブルクの奇跡」の記事における「奇跡の理由」の解説
クーネルスドルフの勝利の後、ロシア軍の指揮官ピョートル・サルティコフは本国の女帝エリザヴェータに以下のように報告した。 陛下はわが軍の損害に驚かれないでしょう。プロイセン王が彼の敗北をいつも高く売りつけることはご存じですから。 (中略) もし私がもう一度こんな勝利を得ることがあれば、その時は私がたった一人で指揮棒片手にサンクトペテルブルクまで報告に行かねばならないでしょう。 実際、この戦いでは連合軍側も死傷者1万6千を出しており、その損害は大であった。また、この戦争において両国の間には少なからず衝突があり、ロシア軍ではオーストリア軍にいいように利用されているとの不満をもち、一方でオーストリア軍のほうでもロシア軍がいつ同盟を反故にしてプロイセンと結ぶかわからないという警戒があった。このようなことは両軍の共同作戦を困難なものとした。もう1つの同盟国であるフランスから派遣されていたモンタランベール侯はロシア軍の陣営を訪れた時の様子を以下のように報告した。 私は到着して、ロシアの将軍たちがこの戦争の重みで押しつぶされているのを見いだしました。サルティコフ伯が私に繰り返し言ったことは、彼が誰にでも言ったことだと後でわかりましたが、こうなのです。ロシア軍はやるだけのことをやった、ダウン元帥がロシア軍を全部犠牲にする気がなかったならば、彼がプロイセン王を追撃するのになんの障害もなかったであろう。 (中略) 私は、これ以上プロイセン王を追撃しなければこの勝利の成果はオーストリア軍にさらわれてしまうであろうとサルティコフに進言しましたが、無駄でした。彼は答えるのでした。そんな気はないし、一番甘い汁はオーストリア軍にあげよう。ロシア軍はやるだけのことをやったのだ、と。私はペテルブルクでも気づいていたし、ここへ来てもわかったのですが、ロシア人の全てがひそかに信じているのは、ウィーンの宮廷はロシア人の扱いをまるで考えていないし、その意図はこの戦争の重荷をロシア人に背負わせようとしている、ということです。 そして実際のところ両軍は「プロイセン王を怖がっているのだ」とも付け加えている。
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