奇跡の子
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「彩雲国物語の登場人物」の記事における「奇跡の子」の解説
本名不詳。瑠花と璃桜の父で、前縹家頭首。璃桜と似た顔立ち。本編の120年以上前、瀕死になっていたところを紅仙に癒しの力で救われる。この癒しの力が過剰に注がれ、元々異能を持たなかったところ、「奇跡の子」の異名を得るまでになった。その力を使い縹家の権力を強固なものとし、暗黒の大業年間に入る原因となった。100年以上前に癒しの異能の枯渇を防ぐために紅仙を呼び出して幽閉した。一方で最後に残った理性で、彼女を解き放っても世界が滅びない仕掛けを施した。父殺しの宿星を持つ瑠花を恐れ何度も殺そうとしたが、瑠花に幽閉され璃桜に殺された。
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奇跡の子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 05:43 UTC 版)
「マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン」の記事における「奇跡の子」の解説
1820年2月13日、オペラ座からの帰路、ベリー公は狂信的なボナパルト派の馬具屋ルイ・ピエール・ルヴェルに刺された。この時マリー・カロリーヌは身ごもっていたが、ベリー公夫妻はこの事実を伏せていた。瀕死のベリー公が取り乱す妻に向け「お腹の子のために落ち着きなさい」と言ったことで彼女の妊娠が明らかとなった。夜明け前にベリー公は亡くなった。ベリー公の非公認の妻エイミー・ブラウンが出産した2人の娘は、ルイ18世によりそれぞれヴィエルゾン伯爵夫人、ディスダン伯爵夫人とされ、年金を受け取れるようになった。マリー・カロリーヌは7ヵ月後の1820年9月29日に男児を出産した。ブルボン朝初代のフランス王アンリ4世と母方の曽祖父フェルディナンド1世にちなみ、最後に「神から与えられた」の意味をつけ、アンリ・フェルディナン・デュードネと名付けられ、「奇跡の子」ともてはやされた。すでにルイーズを既に授かっていたが、フランスはサリカ法により女子相続を認めないため、マリー・カロリーヌの息子アンリは王位継承権2位となった。 1830年、七月革命によりブルボン王家はフランスから追われた。マリー・カロリーヌは国王一族と共にイギリスに亡命したが、国王一家が1831年にオーストリア皇帝フランツ1世が用意したプラハのフランシン宮殿へ向かうことを決めた際、マリー・カロリーヌは同行せず、単身ジェノヴァを経由しローマに向かった。ローマ教皇グレゴリウス16世はフランス王ルイ・フィリップに、マリー・カロリーヌを匿う意図はないと誓った。マリー・カロリーヌはローマから実家のナポリ宮廷へ連絡をしたが、家族すら彼女を疎み、異母弟である両シチリア国王フェルディナンド2世は困惑した。
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