大量生産と世界大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
アメリカの鉄道への貸付が原因で1873年恐慌が起きると、公的介入が図られ、各国の農業と工業で保護主義の支持拡大のきっかけとなる。その一方で、20世紀の初頭にはアメリカの工業製品が大量にヨーロッパへ輸出されて、電話、タイプライター、ミシン、カメラ、蓄音機、包装食品などが人気を呼んだ。石油はアメリカ、ルーマニア、ロシア、オランダ領インドネシア、ペルシアで採掘がすすみ、世界各地で油田を求める動きが活発となる。1914年に第一次世界大戦が勃発すると貿易は縮小して、各国の金本位制も停止された。 第一次世界大戦まで貿易の中心だったイギリスに代わって、1920年代にはアメリカが世界最大の貿易国となり、輸出では1位、輸入ではイギリスに次いで2位になる。しかしアメリカは国内総生産(GDP)に占める貿易の割合が輸出5パーセント、輸入3.4パーセントと低かったため世界貿易の安定には関心が低く、国際連盟にも加盟しなかった。このアメリカの孤立主義は、貿易や金融を不安定にする。まず貿易面では、農産物で問題が起きる。第一次大戦で食料需要が急増してヨーロッパ諸国は農産物の自給率を高めたが、アメリカやほかの農業国も増産をしたため、農産物価格が1920年代に下落する。これがさらなる保護主義のきっかけとなった。アメリカはヨーロッパの戦後復興を投資で援助していたが、連邦準備銀行が投機の抑制のために公定歩合の引き上げを行った。戦後賠償が困難となったドイツではナチ党の政権が成立して、アウタルキー(自給自足)にもとづく一国主義的な政策として四カ年計画を進めた。
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