大火直後の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 23:14 UTC 版)
第二次大火では住宅密集地に大きな被害をもたらした一方、市役所が無事であったため、ただちに被災世帯への支援と、復興への青写真を描くことが出来た。3月21日午前11時より急きょ議会を開き、災害対策協議会の設置を承認、応急措置のための追加予算として100万円を議決した。また、この日の議会では「焼失区域一円に都市計画法による区画整理の実施されることをその筋に要請する」議決を行った。 県の対応も迅速であった。第一次大火の時に県の民生部長だった小畑勇二郎は、1955年(昭和30年)に秋田県知事に就任しており、大火発生中の21日午前3時に緊急部長会議を招集、阿部泉副知事を本部長とする能代市火災対策本部を県庁内に設置し、直ちに災害救助法の適用を決定、能代市への支援物資及び人員を急派させた。同日日中には小畑や青山倭県議会副議長らが現地を視察、また市議会にも出席し、19項目に渡る救助対策を明らかにした。政府でも21日夜に厚生省、建設省の係官を派遣。秋田県選出で当時鳩山内閣の官房長官であった根本龍太郎が応急住宅を建設省に折衝している。また、いずれ必要となる区画整理に際しては、その半額を国庫負担とすることを決定した。 翌22日には市長の豊沢勇治および市議代表5名が県庁及び県議会に出向き、能代市復興に関する陳情を行った。この時の豊沢市長、高階長吉市会議長らの陳情では、次のような具体的な方策が述べられた。被災世帯1,248(このうち生活保護受給世帯55)を、 自力再建可能 - 406 補助あれば建設 - 240 再建能力を有さない - 602 に分類。またそれまでの55世帯に加えて新たに300の生活保護受給世帯発生が見込まれたため、 保護世帯のため約5,700万円で355世帯を収容する共同住宅を建設(1世帯あたり7坪。坪単価23,000円の計算で総額5,715万5,000円)。 再建能力のない602世帯から上記355世帯を差し引いた247世帯の分について1戸9坪で公営住宅を建設(坪単価26,600円で総額5,913万1,800円)。 補助あれば建設可能の240世帯のため住宅金融公庫の建設資金で建設(約1億1,500万円)。 という方策が示された。この実現のための建設資材として、応急資材4万5,000石。木材22万5,000石の特売を要請した。林野庁長官の石谷憲男も、国有林の払下げにあたって最大で半額まで値引きできることから被害の実情に即した措置を取るよう指示を伝えている。
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