大村藩に仕官後とは? わかりやすく解説

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大村藩に仕官後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/25 00:49 UTC 版)

斎藤歓之助」の記事における「大村藩に仕官後」の解説

1852年嘉永5年1月不在新太郎の代わりに歓之助が長州藩剣術指導をした。このことから歓之助が新太郎の代稽古務まる人物みなされていたということになる。 1853年嘉永6年2月21日には、大村藩主・大村純熈御前新太郎、歓之助と練兵館門人数十人が試合行い藩主・純熈が神道無念流実見した1854年嘉永7年5月、歓之助は荘勇雄とともに江戸から肥前国大村(現 長崎県大村市)へ移った大村到着した歓之助に藩主・純熈は屋敷剣術道場微神堂」を与えた。この時点ではまだ藩校での神道無念流指導はされず、神道無念流は歓之助が自邸微神堂教えるという形式がとられていた。ただし藩から神道無念流稽古推奨する通達出ていた。 同年6月大村藩は歓之助を剣術師範役に任命し同月末には一刀流新陰流を学ぶ者がほとんどいなくなったという申し出があったということ一刀流新陰流稽古停止された。このことから、藩校での正式な教授が無い状況でも、藩の推奨もあり、ほとんどの藩士神道無念流転じたことがわかる。ただし、一刀流師範役・宮村佐久馬は、免許皆伝受けた師恩があるので一刀流守って藩主への奉公続けたいとの旨を藩主願い出たため、特別に一刀流稽古続けることを許された。宮村の子柴江運八郎も父に従って一刀流稽古続けていたが、後に神道無念流稽古命じられた。 同年7月神道無念流取立荘勇雄任命された。「取立」とは藩校での剣術師範最高職にあたる役職であり、これによって藩校での剣術神道無念流となったことを示すものであった。また次席神道無念流取立助に任命され長井兵庫は、大村藩神道無念流採用されるきっかけとなった1849年嘉永2年5月斎藤新太郎との試合をした藩士一人である。柴江運八郎もこの時に藩校での神道無念流稽古命じられた。 大村藩では藩主護衛する馬副」という部隊設けられていたが、1855年安政2年7月17日新たに二十騎馬副」を設け、その頭取に歓之助、荘勇雄ほか3名が任命された。この「二十騎馬副」には武術とくに神道無念流精通した者が選ばれた。 同日一刀流新陰流師範役が解任され同年8月、歓之助は150石に加増された。 廻国修行中の佐賀藩士・牟田高惇鉄人流)が同年8月30日から9月3日まで大村滞在し、歓之助や荘勇雄長井兵庫らと稽古した牟田日記諸国廻歴日録』には、大村城下では神道無念流稽古道具ばかりが見られたと記されている。 歓之助が指導した大村藩士の中から渡辺昇柴江運八郎らを輩出した渡辺江戸練兵館でも修行した1856年安政3年)、藩医長與中庵の娘(長與專齋の姉)と結婚する1857年安政4年)に中風身体が不自由になったが、剣の指南続けた1863年文久3年)に荘勇雄用人昇格したことで長井兵庫神道無念流取立になったが、1864年元治元年11月、藩は長井兵庫解任し、渡辺昇取立任命した。これ以降長井渡辺対立するうになる1867年慶応3年)、家老針尾左衛門襲撃松林廉之助暗殺端を発した大村騒動で、渡辺粛清によって強引に藩論尊王まとめ上げる大村騒動で、長井兵庫暗殺指揮をしたとされ獄死毒殺説もあり)。荘勇雄江戸にいたので斎藤新太郎に匿われたが、渡辺らは歓之助を人質にして斎藤弥九郎脅し、荘を捕らえることに協力させた。潜伏先踏み込まれた荘は自害した大村藩神道無念流という面で結果だけを見れば渡辺昇柴江運八郎らが、神道無念流先輩にあたる荘勇雄長井兵庫を、師匠である斎藤家巻き込んで政治的に排除した形になる。 廃藩後東京に戻る。明治31年没した

※この「大村藩に仕官後」の解説は、「斎藤歓之助」の解説の一部です。
「大村藩に仕官後」を含む「斎藤歓之助」の記事については、「斎藤歓之助」の概要を参照ください。

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