大村藩伝
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斎藤歓之助(斎藤弥九郎の三男)が嘉永4年(1851年)に大村藩に仕え、嘉永7年(1854年)に練兵館塾頭だった荘勇雄とともに江戸詰から大村に移ったことにより、一刀流、新陰流の稽古が廃止され、神道無念流に統一された。藩主大村純熈は歓之助の屋敷内に微神堂という道場を与え、微神堂から渡辺昇、柴江運八郎を輩出した。 渡辺昇は江戸へ出て練兵館塾頭を務め、明治維新後は大日本武徳会の発起メンバーとなり、近代剣道界の発展に努めた。 柴江運八郎は大阪府警察部に勤務後、大村に帰郷し微神堂で剣術を指導した。柴江の後は、寺井市太郎 - 寺井知高と伝えられ、寺井知高は東京で中山博道にも師事し、現在、久保勲・豊田喜代子(当代)兄妹の練兵館久保道場(大村市)にて伝承されている。 この系統の立居合は、他の系統よりも動作が簡略化されている。 系譜 福井嘉平―戸賀崎暉芳―岡田吉利―斎藤弥九郎―斎藤歓之助―柴江運八郎―寺井市太郎―寺井知高―豊田喜代子
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