塩谷氏と那須氏の攻防とは? わかりやすく解説

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塩谷氏と那須氏の攻防

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/03 20:50 UTC 版)

沢村城」の記事における「塩谷氏と那須氏の攻防」の解説

沢村城塩谷氏那須氏勢力範囲境界にあるため、両氏によりその所属争われた。満隆の沢村氏一代限り断絶して以後も、沢村城那須氏の城であった思われるが、14世紀初頭には、塩谷氏出城となっていた。ところが、塩谷方の沢村城であった岡本備前守岡本正親岡本氏一族ではない)が那須方に呼応して寝返り那須方の城となった那須氏は、岡本備前守に代わって福原主膳という者を城代としたが、正和3年(1314年)4月20日塩谷勢が沢村城攻め落城させた。城代福原主膳大沢隼人正勝(政勝)に討ち取られ塩谷氏富田信濃守沢村城代として置いたちなみに、「川崎塩谷伯耆守実録によれば、この時「城代として塩谷家来岡本備前守遺し置ける処に備前守那須一身に成、城をかため塩谷にせめむかふ由・・・」とあるので、この頃から、山城の沢村城本格的に整備され始めた可能性が高いと考えられている。 しかし、元徳2年1330年2月28日那須勢1千が沢村城攻め富田信濃守那須方に降伏する以後、しばらく沢村城那須方の出城となった応永2年(1395年)正月2日には、塩谷勢が沢村城奪還企図して3千の兵で沢村城包囲するも、この戦い佐竹氏介入塩谷勢は兵を退かざるを得なくなり塩谷氏家臣和泉五郎の娘を那須方の沢村城福原勝馬に嫁がせることで和睦したという。 那須家の上下分裂 『那須記』によると、沢村城那須資氏が家の断絶を防ぐため、その子・資重に沢村氏を継がせて城主としていた。しかし沢村資重は兄・那須資之対立し、資之は上杉氏支援得て花見酒宴に弟・資重を呼び寄せ殺害しようとしたが、これを家臣角田重安が資重に密告し失敗した。資重は佐竹氏支援得て対抗したが、応永20年1413年8月2日那須資之は弟・資重の居城沢村城攻め寄せ沢村城那須氏同族による戦い始まった那須資之方と資重方の主な武将と総兵力 武将兵力資之方堅田太郎兵ェ隆時、大関右ェ門尉増義、大田原兵ェ尉増氏、芦野弾正左ェ門資任、伊王野次郎左ェ門隆泰稲沢五郎左ェ門隆定、河田六郎隆国、河田六郎兵ェ尉任資、佐久山次郎左ェ義範、荏原三郎左ェ門朝秀、蜂巣源平光義 三百余騎 資重方稗田九郎兵ェ門朝信、池沢源五郎政信、川井六郎兵ェ安利金枝左ェ門義隆、角田庄兵ェ重安角田庄右ェ門(庄左ェ門)重利(重安弟)、熊田源兵ェ忠範大俵(大桶大田原)三左ェ門光秀館野越前守義弘(谷田住人)、小口次郎兵ェ重勝、矢田弥佐ェ門宗忠(高岡村)、興野弥佐ェ門義清、滝田平左ェ門隆貞、千本十郎森田次郎六十騎 この兄弟争いは、那須記が「死体重なって塚の如く」と記すほどに壮絶なものであったという。ほぼ一日戦いで、資之方300余騎・資重方160騎馬両軍合わせて460に対して戦死者132人以上、負傷者合わせれば272人以上であった。 結局、この沢村での戦いは、資重が沢村城から福原城撤退して終わった沢村城は資之側のものとなり、城代には須藤五郎入った。ただし那須氏分裂解消されず、資之系(上那須家)と資重系(下那須家)に分かれたままであった平城沢村城(旧沢城)は、この戦いで壊滅的な打撃を受け廃城となった。この戦いで死者は、高さ4m周囲90mほどの円墳状の塚に埋葬され回向塚(えこうづか)と呼ばれていたが、現在は壊滅している。しかし、明治27年ころに発掘調査が行われ、鎧、兜、馬具などが出土している。 塩谷氏時代 寛正元年1460年4月18日塩谷氏は再び沢村城攻め福原勝馬を捕らえて木幡村川原にて斬首沢村城塩谷方のものとなった塩谷氏城代として大沢十郎隼人)を置いた文明4年(1472年)5月23日文明5年(1473年)7月7日など、那須勢との小競り合い記録見えるが、沢村城120年以上に渡って塩谷氏支配が一応続いた。ただし、沢村城奪還を喜ぶ永禄6年1563年11月14日付の塩谷義孝書状残り、度々那須氏沢村城奪われるなど、その支配は不安定であったその間記録に残るだけでも26人もの沢村城代がいた。 那須氏支配 しかし、天正13年(1585年)3月25日薄葉ヶ原の合戦宇都宮氏那須氏戦い那須氏勝利すると、沢村城那須氏が完全に掌握した

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