塩谷氏家督継承後とは? わかりやすく解説

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塩谷氏家督継承後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 16:14 UTC 版)

塩谷正路」の記事における「塩谷氏家督継承後」の解説

天保7年1836年9月8日、父の正義亡くなると塩谷氏家督を継ぐ。弘化3年1846年4月先祖塩谷氏菩提寺である長興寺墓参するため下野国塩谷郡にまで赴き、先祖供養料として祠堂金16両を寄進している。さらに嘉永4年1851年)、正路大夫となり豊後守に任官され、西の丸小納戸役頭取格に任命され禄高1500石まで上った祖先下野国塩谷郡にあった頃、塩谷義通塩谷氏初代である義通の領地1000であった事を考えると、それを上回る禄高得た事になる。そして安政5年1858年6月この年10月第14代将軍となる徳川家茂徳川家定世子となると、その家茂附となり、さらに嫡男の正是も小納戸役任命されている。安政7年1860年正月将軍となった家茂より、その功績称えられ呉服賜り文久3年1863年3月家茂徳川将軍として230年ぶりに上洛した時には嫡子正是がそのお供命じられている。

※この「塩谷氏家督継承後」の解説は、「塩谷正路」の解説の一部です。
「塩谷氏家督継承後」を含む「塩谷正路」の記事については、「塩谷正路」の概要を参照ください。

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