福原城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 02:21 UTC 版)
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別名 | 北岡城、福原北岡館[1] |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 福原之隆[1] |
築城年 | 鎌倉時代[1] |
主な改修者 | 那須資景[1] |
主な城主 | 那須氏[1] |
廃城年 | 1681年(天和元年) |
遺構 | 土塁[1] |
位置 | 北緯36度48分11秒 東経140度3分53秒 / 北緯36.80306度 東経140.06472度座標: 北緯36度48分11秒 東経140度3分53秒 / 北緯36.80306度 東経140.06472度 |
地図 |
福原城(ふくはらじょう)は、栃木県大田原市福原にあった日本の城。別名を北岡城、福原北岡館[1]。
南側の低丘陵には福原要害城があり、こちらを福原城とする資料もある[1]。
概要
鎌倉時代初期に、福原之隆によって築かれて以来、約300年に渡り那須氏の居城として使われ、上下那須家分裂後は、上那須家の居城として使われた[1]。
1514年(永正11年)の上那須家滅亡後は、佐久山城と共に、実質福原氏の居城的な役割を担っていたと思われる[要出典]。
1610年(慶長15年)には、那須資景が那須藩を立て、城の一角に福原陣屋を築く[要出典]。
1681年(天和元年)に、三代藩主那須資弥の時、烏山に転封となり廃城[1]。
現在、城跡は大半が農地となっており、目立った遺構はない。
脚注
関連項目
福原城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 08:02 UTC 版)
福原集落の東端で恵那市上矢作町との境の断崖上にあった砦である。目前の矢作川の対岸は三河国であり、当初は今川氏の家臣で後に武田氏→井伊氏の家臣となった川手氏の川手城、川手古城があり、また川手城の東側には押山城もあったので、その監視と串原遠山氏領の関門を目的としていたとみられる。なお、跡地から発掘された骨壺が室町時代中期頃のものと推定されており、また城山は「ジョウノネ」という古称で呼ばれるため、室町時代中期の砦と考えられる。
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