塚本勝嘉とは? わかりやすく解説

塚本勝嘉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/03 05:50 UTC 版)

塚本勝嘉

塚本 勝嘉(つかもと かつよし、1847年12月27日弘化4年11月20日) - 1912年1月15日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将男爵。幼名・琢磨。

経歴

大垣藩士・井道住右衛門の三男として生まれ、同藩士・塚本勝茂の養子となる。大垣藩小隊長として第2次長州征討に出征したが、同藩が新政府側となり戊辰戦争に従軍。1872年、陸軍少尉任官。第6番大隊付を経て、1874年4月、台湾出兵に従軍。熊本鎮台付を経て、1877年2月から10月まで西南戦争に出征した。

歩兵第4連隊大隊長、近衛歩兵第2連隊大隊長等を歴任し、日清戦争には歩兵第6連隊長として出征し、平壌海城の戦いに参加した。陸軍大学校長、第6師団参謀長などを経て、1897年9月、陸軍少将に進級。義和団の乱及び日露戦争に歩兵第21旅団長として出征。日露戦争では、金州南山などに転戦。1904年9月、陸軍中将となり、遼陽会戦で負傷した小川又次中将の後任として第4師団長に就任し、奉天会戦を戦った。その後、第9師団長を勤め、1908年12月に休職し、翌年11月20日、後備役[1]となった。

1907年9月、男爵を叙爵し華族となる。

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

  • 養嗣子 塚本浩次(陸軍法務官

関連項目

脚注

  1. ^ 『官報』第7925号、明治42年11月22日。
  2. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  3. ^ 『官報』第5833号「叙任及辞令」1902年12月11日。
  4. ^ 『官報』第6445号「叙任及辞令」1904年12月22日。
  5. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  6. ^ 『官報』第7955号「叙任及辞令」1909年12月28日。
  7. ^ 『官報』第8570号「叙任及辞令」1912年1月17日。
  8. ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
  9. ^ 『官報』第3131号「叙任及辞令」1893年12月5日。
  10. ^ 『官報』第3693号「叙任及辞令」1895年10月19日。
  11. ^ 『官報』第5414号「叙任及辞令」1901年7月20日。
  12. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  13. ^ 『官報』第6727号「叙任及辞令」1905年12月1日。
  14. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  15. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  16. ^ 『官報』第5531号「叙任及辞令」1901年12月9日。
  17. ^ 『官報』第5948号「叙任及辞令」1903年5月4日。
  18. ^ 『官報』第6149号「叙任及辞令」1903年12月29日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
塚本(勝嘉)家初代
1907年 - 1912年
次代
塚本浩次




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「塚本勝嘉」の関連用語

塚本勝嘉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



塚本勝嘉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの塚本勝嘉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS