報告書作成の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 05:08 UTC 版)
「ペンタゴン・ペーパーズ」の記事における「報告書作成の経緯」の解説
正式名称は "History of U.S. Decision-Making Process on Viet Nam Policy, 1945-1968" 「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」である。ベトナム戦争からの撤退を公約して、アメリカ合衆国大統領に選出されたリチャード・ニクソン政権下の1971年に作成された報告書は、47巻構成(資料を含め約100万語)で、フランクリン・ルーズベルト大統領時代、つまりフランス領インドシナ時代に始まり、フランスのベトナム撤退以降に、ベトナム戦争を拡大させたジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソンの両大統領政権下で、アメリカ合衆国のインドシナへの政策と「トンキン湾事件」などの連邦政府による秘密工作を網羅している。 報告の材料の多くは、ウィリアム・パットナム・バンディ(英語版)国務次官補(前国防次官補)のファイルから出ていると言われており、ホワイトハウスの動き、つまり歴代大統領の動きはあまり盛り込まれていない。 報告書は「アメリカは不十分な手段(インドシナ半島への兵力の逐次投入)を用いて、過大な目的(共産主義のインドシナ半島全体への拡散の防止)を追求した」と結論づけているが、あくまで目的をどう追求するべきなのかどうかについては述べられていない。特に、東側諸国や発展途上国がいうところの「アメリカの帝国主義的野心」は、少なくとも官僚レベルでは存在せず、純粋に東南アジアにおける共産主義のドミノ理論への恐怖を防ごうとした様に読みとれる。アメリカ政府は終始北ベトナム政府の共産主義的性格にのみに心を奪われ、長年フランスの植民地支配にあえいだベトナム人が持つ民族自決主義的および反植民地主義的性格を無視している様である。 また「アメリカ合衆国連邦政府は、当初「20万人規模の軍隊が必要」とされた分析を議会並びに国民に隠し、さらにケネディとジョンソンの両大統領と政府高官は、お互いの異なった思惑から、ベトナム戦争に泥沼に引きずり込まれるように介入していった過程が明らかにされている。特に、アメリカ軍約50万人を上限とする政治的限界(予備役招集が越えられない壁だった)と、ベトナム戦争勝利への見通しがないことが明らかになった。この文書から、アメリカ国民によるアメリカ合衆国連邦政府に対する「信頼性の相違」が深まった。
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