地下鉄建設と部分廃止とは? わかりやすく解説

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地下鉄建設と部分廃止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 08:08 UTC 版)

名古屋市電栄町線」の記事における「地下鉄建設と部分廃止」の解説

戦後1957年昭和32年11月15日名古屋駅から伏見町(現・伏見経由栄町(現・栄)へ至る2.4キロメートルに、名古屋市最初地下鉄である名古屋市営地下鉄東山線開業した路線広小路通栄町線)の北側錦通地下通った東山線順次東へ伸ばされ1960年昭和35年6月千種今池経由池下まで到達1963年昭和38年4月には覚王山経由東山公園まで達する。さらに1967年昭和42年3月には星ヶ丘まで延伸された。 地下鉄整備一方地下鉄拡充引き換え1985年までにおおむね市電撤去するという方針1961年昭和36年)に国の都市交通審議会示されていた。実際に地下鉄先行して星ヶ丘延伸されていた市電は、地下鉄工事のため1961年昭和36年5月にまず東山公園覚王山 - 星ヶ丘間が休止(のち廃止)され、次いで1965年昭和40年3月には東山線輸送力強化で対応可能として覚王山今池 - 覚山間廃止された。 国の審議会による方針加え事業大幅な赤字化市営バス急速な拡大自動車普及による交通事情変化など市電取り巻く環境変化したことから、覚王山部分廃止直後1965年3月、市交通局地下鉄建設推進バス拡充とその一方で市電段階的廃止盛り込んだ名古屋市交通事業の5カ年計画」を発表した。同計画では1969年度までの5年間で廃止すべきとして7線区計23.3キロメートル取り上げており、その中で栄町線覚王山線の栄町 - 今池間2.8キロメートル1966年度に廃止すべき路線挙げられた。廃止理由は、並行する地下鉄輸送力強化によってこの区間利用者5万2千人輸送が十分可能となるため、とされている。 1967年昭和42年2月1日、栄 - 今池間の廃止実施され栄町線栄 - 西裏間は廃止された。

※この「地下鉄建設と部分廃止」の解説は、「名古屋市電栄町線」の解説の一部です。
「地下鉄建設と部分廃止」を含む「名古屋市電栄町線」の記事については、「名古屋市電栄町線」の概要を参照ください。

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