地下鉄建設と休止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 18:44 UTC 版)
「名古屋市電東山公園線」の記事における「地下鉄建設と休止」の解説
1957年(昭和32年)11月、都心部のうち名古屋駅から栄町(現・栄)までの2.4キロメートルに、名古屋市最初の地下鉄である名古屋市営地下鉄東山線(1号線)が開業した。次いで栄町から千種経由で池下へと至る3.5キロメートルの工事が進められ、2年半後の1960年(昭和35年)6月に開通した。 この段階まで、名古屋市の地下鉄計画は太平洋戦争後まもなく立案され1950年(昭和25年)1月に都市計画決定された「復興都市計画高速度鉄道」に基づいていた。都市計画に従って地方鉄道法による鉄道敷設免許を取得していた区間は田代すなわち千種区西崎町(市電の通る末盛通の南側)が東端で、覚王山付近の地下で市電と交差し南へ出て、高架線で終点に至るというのが当初計画であった。さらに都市計画では西崎町から先、東山通5丁目までの敷設も予定されていた。ところが国の都市交通審議会での審議(1958年3月 - 1961年10月)をうけて名古屋市が1961年2月8日に改めて都市計画決定した地下鉄計画では、路線の東端が田代から上社へと移された。変更に伴い事業免許も1960年12月23日付で未開業の池下 - 田代間が放棄され、新たに池下 - 東山公園間に切り替えられた。 地下鉄東山線は覚王山以東において県道60号の地下を通る。従って、道路上を走る市電東山公園線を地下鉄工事を進めるにあたってどのように取り扱うかが問題となった。交通局では、工事期間中に市電を運休して工事終了後に再開させる場合は市電の運行を継続して工事を進める場合よりも7150万円の工事費節約となる、工事終了後に廃止とする場合は1億1400万円の節約となる、という試算を明らかにする。名古屋市会における議論の結果、地下鉄工事中の市電運休は認められるが、工事終了後の市電の扱いについては将来あらためて検討する、という暫定措置が決まった。 1961年(昭和36年)5月15日より、市電東山公園線覚王山 - 星ヶ丘間の営業が休止された。休止期間は1963年(昭和38年)3月31日までと設定され、その間、市電から乗り継ぎ可能な「電車代行バス」が池下駅を起点に運転された。
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