地上デジタル放送開始の壁と本町会館への移転
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「南海放送」の記事における「地上デジタル放送開始の壁と本町会館への移転」の解説
地上デジタル放送の開始に伴い、それまでアナログ放送をVHF帯で放送していた南海放送とNHK松山放送局の松山親局は、地上デジタル放送開始に伴いUHF帯に移行するため、アナログ放送時代からUHF帯で放送していた県内他社3局の親局と同じ伊予市行道山に移設することを決定。しかし、樋又の社屋からの伊予市へSTL送出が困難であることが判明(行道山に直接送出出来ないため1度城山送信所経由で行道山にマイクロ波を送る必要があったが、既に使用開始から50年近く経過した城山の鉄塔にSTL用のパラボラアンテナを新たに追加するだけの強度はなかったため)、さらに40年以上使用した本社も老朽化していた(1988年に旧スタジオ棟部分に新館などを増築したが、主要業務を行う本館は基本的に1964年当時のままだった)。 そこで、南海放送学苑などの文化的活動に使われていた本町会館(通称:メディアパーク)内部を改築し放送業務が出来る状態にした上で新本社として城山アナログ、行道山デジタル、サンパーク内ラジオの各送信所に向けて送信する新体制を敷いた。 移転は3段階に分けて実施した。 まず、2006年(平成18年)8月1日に本社機能を移転。 8月4日に地上デジタル放送のサイマル試験放送を開始(本放送と同じ編成で実施しているが、一部ローカルニュースなどはアナログに先駆けて本町会館からの放送を行った)、6日深夜(7日早朝)にアナログ放送の旧社屋からの放送を終了、翌朝5:18に本町からの放送を開始した(『ズームイン!!SUPER』のローカル差替枠が自社制作枠の最初の放送。同日夕方から放送時間を拡大してリニューアルした『おかえりテレビ』が、自社制作最初の番組となった)。 その後、11月13日の放送を以ってラジオ業務も本町に移転し、42年間続いた樋又の放送会館はその役割を終えた。このあと樋又放送会館の土地も、松山大学に売却されたのち取壊されたため現存しない。放送会館解体後の跡地には松山大学によって整備され「松山大学樋又キャンパス」が開設されている。
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