土古く渡来の鶴をあるかしむ
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
冬 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
かつては日本各地に渡来していた鶴、しかしいまでは、鹿児島県の出水平野が九州で唯一の渡来地であるという。1952年には「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として、国の天然記念物にも指定されている。10月中旬シベリアから渡来する鶴は3月までこの地で越冬する。その数は平成9年度から16季連続で一万羽を超えている。その主な種はナベヅルとマナヅルであり、稀に数羽のクロヅル、アネハヅル、カナダヅル、ソデグロヅルも飛来するとのこと。 吉岡禅寺洞(1889〜1961)は俳誌「天の川」主宰。1941年作「阿久根の鶴」と題された百の句群の第一句めに掲げられているのがこの句である。その記念句碑が建立されたのは1967年1月であるが、そのときすでに阿久根は鶴の渡来地ではなくなっていた。そのため禅寺洞門下の前原東作の発案により、隣接する出水市荒崎に建立されたという経緯がある。その後1989年、同地には出水市ツル観察センターが開館し、多くの利用者が訪れる展望所となっている。そこにはこの句そのままの光景がある。 悠然たる鶴の両翼と伸びやかなその両脚、この句には飛翔と接地とが同時に詠われている。初句の〈土古く〉は読み手の意識を地球創世の起源にまで遡らせ、この大地の幾重もの地層と時間の層を想起させる。その歴史ある地へ鶴は降着し、歩き始める。〈あるかしむ〉は使役の意の〈あるかせる〉ではなく、歩くことを受容する、寛大なる意思を感じさせる。また〈古く〉と〈鶴〉〈あるく〉とつづく語感も、その韻律と相俟って律動的である。そして嘴で餌をついばむ姿は尖鋭的な探究心をも連想させる。 新興俳句運動を展開し、「ホトトギス」より除名された禅寺洞は戦後、口語俳句を提唱する。そのことを思うときこの句の鶴は禅寺洞自身の姿と重なる。日本詩歌の歴史を立脚点とし、なお飛翔を志す禅寺洞の詩精神の象徴とも捉えられるのではないだろうか。 写真提供:出水市役所観光交流課 |
評 者 |
|
備 考 |
- 土古く渡来の鶴をあるかしむのページへのリンク