四国IL・徳島時代
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定岡が独立リーグの指導者経験を持っていたこともあり、卒業後の進路を1年目からNPBに進める独立リーグとした。四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験し、特別合格で徳島への入団が決まる。徳島を入団先としたのは、「投手育成が得意」という定岡からの推薦による。 2019年シーズン、徳島では15試合に登板して4勝4敗、防御率1.40、奪三振64の成績で、最優秀防御率のタイトルを獲得するとともに、投手部門のベストナインに選出された。8月に行われた読売ジャイアンツ三軍との交流試合では6回10奪三振無失点と好投を見せてNPB球団からの注目を集めた。しかし、9月上旬に右肘の炎症が発症し、同月に行われた阪神タイガース二軍との練習試合では1/3回を2安打3失点と精彩を欠いていた。 2019年10月17日のNPBドラフト会議で、埼玉西武ライオンズより7巡目で指名を受け、当初の目標通り、高卒1年目でのNPB入りを果たした。右肘故障の影響から「育成でも指名があればと思っていた」中での支配下指名だった。また、チームメイトの岸潤一郎も同じく西武から8巡目で指名を受けた。
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四国IL・徳島時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 02:34 UTC 版)
初年度の2013年は選手登録外の練習生であった。スコアラーや球場のカウントインジケーター操作をおこない、又吉克樹ら他の選手の配球などを見る一方、練習生は無給のためトレーニングの後にガストのキッチンでアルバイトをしていた。 2年目の2014年は開幕から選手登録される。チーム2試合目となる4月6日の対高知ファイティングドッグス戦で中継ぎとして初登板。5月14日の対高知ファイティングドッグス戦では完封勝利。7月には四国アイランドリーグplus選抜に選出され、フューチャーズ交流戦の第2戦に5番手(クローザー)として登板した。このシーズンは31試合に登板し、前期は先発、後期は抑えを中心に起用され、4勝5敗6セーブ、防御率2.54(リーグ5位)。愛媛マンダリンパイレーツと対戦したリーグチャンピオンシップや、群馬ダイヤモンドペガサスと対戦したグランドチャンピオンシップでは、合計4試合で終盤にマウンドに立ち、無失点。いずれのシリーズでも優勝決定時の「胴上げ投手」となっている。 2014年プロ野球ドラフト会議にて中日から8位指名を受け入団。背番号は51。チームには同姓の山本昌が在籍しており、本来であれば登録名を「山本雅」とする所だが、これでは漢字は違っても読みが同じであるため、フルネームの「山本雅士」での登録となった。
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四国IL・徳島時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:32 UTC 版)
卒業後はトライアウトを経て四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに入団。2021年は63試合に出場、成功率.800という正確性を兼ね備えて40盗塁を記録し、盗塁王となった。
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