味の素激昂事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:29 UTC 版)
1992年12月、たかじんが司会をしていたテレビ朝日の深夜番組M10の料理コーナーで起きた通称:「味の素事件」である。たかじんが「こんにゃくサイコロ ステーキ」を調理中、隠し味に必要な味の素が見つからず、番組スタッフや助手を務めていた服部栄養専門学校の生徒に「味の素はどこや?!」と連呼したが、誰も答えなかったため、アシスタントディレクター(後に小宮悦子と結婚した人物)を殴り、スタジオのセットを破壊する出来事があった。その状況に慌てた共演のトミーズ雅が「味の素を入れたことにしましょう」の発言で軌道修正を試みたものの、「出来ん、それ。味の素が無いのに出来ない!」と調理を放棄。たかじんは生放送中にも関わらず、スタジオを後にして帰った。スタジオに残されたゲストの中山秀征と大竹まことは、たかじん作成の進行表だけを頼りに残りの放送時間内で「味の素を入れない、こんにゃくステーキ」を完成。トミーズ雅、大竹、中山の3人で試食をして、波乱の生放送を締めくくった。ただし、この激昂は味の素がなかったことはあくまできっかけであり、番組スタッフが以前より大阪のタレントを見下している感が強すぎたからとされる。後日、たかじんは別の番組で「ファックスで再三、打ち合わせしたにも関わらず、味の素を持って来なかったことに腹を立てた」と話している。この事件で、たかじんは殴った際に右手を骨折した。 生番組中に「味の素」と連呼したことで、味の素本社から1000本の味の素が送られて、スタジオのセットやたかじんの楽屋の至るところに置かれるという後日談も生まれた。この差し入れは同社からの善意によるものとされているが、激怒した原因は打ち合わせをしたにも関わらず制作スタッフの怠慢で進行に支障を来したことから「味の素がなかったから」とすることは本意ではなく「あるかないかの問題ではなく、そもそも制作業務としての当然の通達が全く機能していなかったためである」と本人が吐露している。 後に番組内で、たかじんは「騒動を引き起こした責任を取って、番組を自ら降板する」と宣言した。トミーズ雅から説得され、一旦は慰留を受け入れたが、バーのマスター役のたかじんとトミーズ雅が有名人を迎えてトークをする『M10』金曜日の番組構成は、既に関東地区以外で放送されていた読売テレビの『たかじんnoばぁ〜』と全く同じであったため、この事件で『自局制作の番組を模倣した番組』が関東ローカルで放送されていたことを知った読売テレビが、テレビ朝日と制作プロダクションのオフィス・トゥー・ワンに事情説明を求めるまでに発展して、翌1993年3月に降板した。同時に、彼の東京嫌いが決定的なものとなった。 その後、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!(フジテレビ)』に、たかじんがゲスト出演した際、司会の上岡龍太郎のアイディアで、セットに「味の素」を敷き詰めたという後日談もある。 後に『たかじんTV非常事態宣言』の企画で、味の素 大阪支社を訪れた際、この事件が味の素の社内でも伝説として語り継がれていることを知る。
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