周辺の史跡
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東光禅寺-白山道の通る宮川の谷にある。寺の縁起によると建仁年間(1201年~1204年)に鎌倉の薬師々谷に畠山重忠が開基したという伝説があり、応仁年間(1467〜69年)に宮川の谷の白山権現社南側の谷下に移転、その後に東側の現所在地に移転した。 白山権現社-白山道の通る宮川谷奥の北側崖面に掘られたやぐらを利用した祠。 白山道奥磨崖仏-白山道の通る宮川谷奥の北側崖面に掘られた磨崖仏。酷く風化してしまい、輪郭もよくわからない。 釜利谷やぐら遺跡11号やぐら-白山道古道を登りきったところにある。白山道奥公園になっている。 鼻欠地蔵-白山道の残存尾根筋ルートを降りきった六浦道(県道23号)沿いにある磨崖仏。鼻が欠けていたので「鼻欠地蔵」とよばれたが、鼻どころか全身が風化し輪郭が何とか解るレベル。この尾根または道が相模・武蔵国の境になっていたので「界の地蔵」の名も伝えられている。 伝畠山重保墓-禅林寺の境外墓地(金沢区釜利谷南1-5)にある五輪塔で横浜市登録地域文化財である。畠山重忠の息子畠山重保が畠山重忠の乱の時にこの地で自刃し、その墓とする伝説があるが、五輪塔は南北朝時代のもの。
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周辺の史跡
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龍寶寺-玉縄城の城主たちの供養塔がある(かつては背後の山にあったが、近年麓の寺に移された)。またこの寺の背後の山も、玉縄城の何らかの防衛を担った事が考えられ、かつて供養塔が有った所など数か所が削平されている(堀切状の所が有るが、明らかな改変が有るので、遺構ではない可能性が高いが、元からあった堀切を改変した可能性もある)。境内には2020年(令和2年)8月1日に開館した民間団体「玉縄城址まちづくり会議」が運営する歴史博物館の玉縄歴史館があり、玉縄城に関する復元図、ジオラマや出土したかわらけ、石つぶての石などが展示されている(有料)。 玉縄城砦群-ニ伝寺砦、長尾砦。 玉縄首塚-甘縄首塚とも。1509年(大永6年)に起きた大永鎌倉合戦で里見氏との戦いで討ち取られた北条方の将を弔った塚で柏尾川沿いに建っている。毎年8月19日に「玉縄史跡まつり」と題し供養を兼ねた祭りが開催されている。塚の脇には首塚の成立過程を記した1968年(昭和43年)建立の石碑が建っている。
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