周辺の史跡とは? わかりやすく解説

周辺の史跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 02:08 UTC 版)

白山道」の記事における「周辺の史跡」の解説

東光禅寺-白山道の通る宮川の谷にある。寺の縁起によると建仁年間1201年1204年)に鎌倉薬師々谷に畠山重忠開基したという伝説があり、応仁年間(1467〜69年)に宮川の谷の白山権現社南側谷下移転その後東側の現所在地移転した白山権現社-白山道の通る宮川谷奥の北側崖面に掘られたやぐら利用した祠。 白山道奥磨崖仏-白山道の通る宮川谷奥の北側崖面に掘られ磨崖仏酷く風化してしまい、輪郭もよくわからない釜利谷やぐら遺跡11号やぐら-白山道古道登りきったところにある。白山道公園になっている鼻欠地蔵-白山道残存尾根筋ルート降りきった六浦道(県道23号)沿いにある磨崖仏。鼻が欠けていたので「鼻欠地蔵」とよばれたが、鼻どころか全身風化し輪郭が何とか解るレベル。この尾根または道が相模・武国の境になっていたので「界の地蔵」の名も伝えられている。 伝畠山重保墓-禅林寺境外墓地金沢区釜利谷南1-5)にある五輪塔横浜市登録地域文化財である。畠山重忠息子畠山重保畠山重忠の乱時にこの地で自刃し、その墓とする伝説があるが、五輪塔南北朝時代のもの。

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周辺の史跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 16:36 UTC 版)

玉縄城」の記事における「周辺の史跡」の解説

龍寶寺-玉縄城城主たちの供養塔がある(かつては背後の山にあったが、近年麓の寺に移された)。またこの寺の背後の山も、玉縄城何らかの防衛担った事が考えられ、かつて供養塔有った所など数か所が削平されている(堀切状の所が有るが、明らかな改変有るので、遺構ではない可能性が高いが、元からあった堀切改変した可能性もある)。境内には2020年令和2年8月1日開館した民間団体玉縄城まちづくり会議」が運営する歴史博物館玉縄歴史館があり、玉縄城に関する復元図、ジオラマ出土したかわらけ石つぶて石など展示されている(有料)。 玉縄城砦群-ニ伝寺砦、長尾砦玉縄首塚-甘縄首塚とも。1509年大永6年)に起きた大永鎌倉合戦里見氏との戦いで討ち取られ北条方の将を弔った塚で柏尾川沿いに建っている。毎年8月19日に「玉縄史跡まつり」と題し供養兼ねた祭り開催されている。塚の脇には首塚成立過程記した1968年昭和43年建立石碑建っている。

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