名古屋航空機製作所時代及び「金星」開発とは? わかりやすく解説

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名古屋航空機製作所時代及び「金星」開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 00:26 UTC 版)

深尾淳二」の記事における「名古屋航空機製作所時代及び「金星」開発」の解説

名古屋航空機製作所名航)に配属して以降は、一貫して航空エンジン研究・開発従事する当時名航航空発動機部門は、相次ぐエンジン開発不振真っ只中で、しばし産業界からは「三菱発動機はどこへ行く」と嘲笑されるほどの混迷期にあった自身技術者であり、現場統括する経営者でもあった深尾は、エンジン技術的問題解決のみならず、「世界一エンジン」をスローガン掲げ経営・生産システム大幅な改革実行した。この結果、その主力水冷式から空冷式へと移行し1934年12月深尾軍部の介入抜きにした三菱独自の新エンジンA8設計着手する1935年3月、全く独創的な開発手順により、A8設計着手からわずか4ヶ月というスピードその実機が完成し深尾自身によって「金星」と命名された。その後幾度にも及ぶ試験運転耐久試験繰り返され多く改良施されてゆき、金星3型(A8a)として海軍航空技術廠厳し審査優秀な成績通過した。この金星3型(A8a)は1936年96台を受注し斯くして三菱航空エンジンはその混迷期から脱却したその後も、深尾率いプロジェクトチームにより性能向上が図られ金星40型(A8c)が完成した。翌1937年、このエンジン金星4型として海軍の正式採用を受け、直ち380台という異例大量受注をした。なお、この金星4型(A8c)は、1939年九六式陸攻旅客型改造した毎日新聞社飛行機ニッポン号」のエンジンとして日本初世界一周飛行成し遂げ国内外にその性能技術力の高さを知らしめた。毎日新聞社では当初不測の事態考慮し交換用の予備エンジン2台を経由地ロンドン送っていたが、結局日本出発してから帰還までナット1つたりとも取り替えることはなかったと言う。 「金星」は、続いて開発されるエンジン火星」及び「瑞星」のベースとなった

※この「名古屋航空機製作所時代及び「金星」開発」の解説は、「深尾淳二」の解説の一部です。
「名古屋航空機製作所時代及び「金星」開発」を含む「深尾淳二」の記事については、「深尾淳二」の概要を参照ください。

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