名古屋航空機製作所時代及び「金星」開発
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「深尾淳二」の記事における「名古屋航空機製作所時代及び「金星」開発」の解説
名古屋航空機製作所(名航)に配属して以降は、一貫して航空エンジンの研究・開発に従事する。当時の名航航空発動機部門は、相次ぐエンジン開発の不振の真っ只中で、しばし産業界からは「三菱の発動機はどこへ行く」と嘲笑されるほどの混迷期にあった。自身が技術者であり、現場を統括する経営者でもあった深尾は、エンジンの技術的問題の解決のみならず、「世界一のエンジン」をスローガンに掲げ経営・生産システムの大幅な改革を実行した。この結果、その主力を水冷式から空冷式へと移行し、1934年12月、深尾は軍部の介入を抜きにした三菱独自の新エンジンA8の設計に着手する。1935年3月、全く独創的な開発手順により、A8は設計着手からわずか4ヶ月というスピードでその実機が完成し、深尾自身によって「金星」と命名された。その後、幾度にも及ぶ試験運転や耐久試験が繰り返され、多くの改良が施されてゆき、金星3型(A8a)として海軍航空技術廠の厳しい審査を優秀な成績で通過した。この金星3型(A8a)は1936年、96台を受注し、斯くして三菱の航空エンジンはその混迷期から脱却した。 その後も、深尾の率いるプロジェクトチームにより性能向上が図られ、金星40型(A8c)が完成した。翌1937年、このエンジンは金星4型として海軍の正式採用を受け、直ちに380台という異例の大量受注をした。なお、この金星4型(A8c)は、1939年、九六式陸攻を旅客型に改造した毎日新聞社の飛行機「ニッポン号」のエンジンとして日本初の世界一周飛行を成し遂げ、国内外にその性能と技術力の高さを知らしめた。毎日新聞社では当初、不測の事態を考慮し交換用の予備エンジン2台を経由地ロンドンに送っていたが、結局日本を出発してから帰還までナット1つたりとも取り替えることはなかったと言う。 「金星」は、続いて開発されるエンジン「火星」及び「瑞星」のベースとなった。
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