名古屋市電「乗り越しカルダン」車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 07:23 UTC 版)
「車体装架カルダン駆動方式」の記事における「名古屋市電「乗り越しカルダン」車」の解説
名古屋市交通局は戦前から路面電車の技術革新に積極的で、1950年代にはいち早く直角カルダン駆動方式や弾性車輪(ゴム挿入式)を採用していた。その一環として、日本車輌製造との共同開発で1956年に製作したのが、車体装架カルダン駆動方式の800型電車である。 「NSL車」と称したこの軽量路面電車は、車体床下中央にトロリーバス用100kW主電動機を1個搭載、ここから前後にカルダンジョイント付きプロペラシャフトを伸ばし、前後両方の台車に駆動力を伝えるという特異な手法を取っていた。 ガソ改カルダン車が、気動車同様に車体内側寄りの車軸を駆動したのに対し、NSLの場合はプロペラシャフトが内側寄り車軸上を乗り越し、車端部側車軸をウォームギアで駆動していた。乗り越しカルダン方式と称される由縁である。 路面電車は交差点で急カーブを通過するので、内側車軸直結ではカルダンジョイントが耐えられないほどの角度を生じてしまう。そのため、食い違いを小さくする対策として、乗り越し構造を用いたものである。 乗り越し構造による外側車軸駆動の起源自体は古いもので、日本車輌製造が1929年に自社で初めて試作製造したボギー式気動車である芸備鉄道(現・JR芸備線)キハ1形・浜松鉄道(のち遠州鉄道奥山線)レカ1形で既に採用されていた(これらは2基エンジン床下搭載で床下スペースが足りずにプロペラシャフト長を稼ぐ必要が生じた故の手法であったが、根元的な採用理由はNSLと共通する)。 走行機器だけでなく、スタイルも斬新で、側面外板をスカート状に路面近くまで伸ばし、大きな窓を備えた軽快なデザインだった。だが普通の路面電車に比べると故障が多く、またあまりに軽すぎてスプリングポイントの復元力に抗し切れず車輪を乗り上げるなどして、脱線事故を頻発させもした。 結果としては失敗作で主力とはならず、800型は1969年までに早期廃車された。その特殊さ故に他社には売却されず、丸ごと魚礁に転用され、現在でも海中に沈んでいる。
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