名古屋大学教授として
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1989年4月に名古屋大学工学部機械工学第二学科教授に就任。1992年4月に工学部機械情報システム工学科教授、1994年6月に大学院工学研究科マイクロシステム工学専攻教授(学部は機械情報システム工学科)、1997年4月に先端技術共同センター教授と変遷する。なお、1990年9月から1995年3月の間に小菅一弘が助教授として着任。小菅とは双腕マニピュレータで位置・力を直接ではなくコンプライアンスを制御する手法や、タスクオリエンテッドな仮想ツールによる制御を開発した。 福田は1980年代後半からソフトコンピューティング手法を取り入れた研究を行っており、ファジィ制御によるPID制御の保障や、遺伝的アルゴリズムによるファジィルールの自動生成などに取り組み、フレキシブルロボットアームにはニューラルネットワークを適用して非線形システムへの有効性を示している。後にアザラシ型ロボット「パロ」を開発する柴田崇徳も教え子で、共著の解説では行動型ロボットにおけるファジィやニューロ制御の進化に遺伝的アルゴリズムが適しているとした。 1991年10月に名古屋で開催されたマイクロマシン国際シンポジウムにおいて、福田は「山登りマイクロメカニズム国際コンテスト」を開催。翌年の1992年にも「国際マイクロロボットメイズコンテスト」として開催し、以後毎年開催される。福田は実行委員長を務め、石原秀則らとマイクロロボットを題材とするロボット教室にも取り組んだ。福田はコンテストの自由に発想できる意義を説くとともに、「最後に必ずレポートを英文で書かせることが重要」と指摘している。 1993年にはイタリアのサンターナ大学院大学(イタリア語版)(Scuola Superiore S.Anna)の客員教授を務める。新菱冷熱工業とは風量検査ロボットの共同開発を行っており、ビジョンベースドな位置決めは海外でも評価されたと述懐している。また、石川島播磨重工とは小菅一弘とともに油圧式のパラレルメカニズム(英語版)の共同研究を行い、三菱重工業とは位置検出器「Inductosyn」の改良に取り組んだ。ブラキエーションロボットは全身12自由度のBrachiatorIIIに発展し、ディスカバリーチャンネルでも放映された。
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