吉田証言とその影響
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「日本の慰安婦問題」の記事における「吉田証言とその影響」の解説
詳細は「吉田清治 (文筆家)」を参照 元旧日本陸軍軍人を自称する吉田清治は1977年に出版された自著『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)で、慰安婦について、「慰安婦徴用」などの表現を用いたり、済州島で軍や面職員などの協力を得て、「狩り出し」を行ったとの記述をしている。1982年には樺太裁判において、済州島で慰安婦の強制連行を行なったと証言、続く1983年7月に戦中済州島で自ら200人の女性を拉致し慰安婦にしたと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版したが、韓国側の反応は全面否定であった。当時は日本統治時代を生き抜いた人々が中心の時代であり、済州島新報なども含め、吉田証言を全面否定している。 1983年11月10日には朝日新聞が「ひと」欄で吉田清治を紹介し、以後吉田を計16回取り上げて報道した。 1983年12月、吉田は謝罪碑建立のため訪韓した。 『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』は1989年に韓国でも出版された。 ニューヨークタイムズは吉田について、「テレビカメラの前で(罪を)告白したがっており、かつての戦争犯罪者であると自称している」としている。 韓国の経済史学者である李栄薫は、吉田証言は日本官憲が女性を徴発したとする今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与したとしている。 2012年9月5日、朝鮮日報は『朝鮮人慰安婦と日本人』を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分である」と強制連行の存在を主張している。
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