合併をめぐる経緯とは? わかりやすく解説

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合併をめぐる経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:54 UTC 版)

宮島町」の記事における「合併をめぐる経緯」の解説

宮島町戦前町村制施行以来一度合併経験せず、100年以上にわたって単独町制維持していた。しかし町域すべてが信仰の対象であること、文化財多くもつこと、島嶼部であることなどの理由から、産業振興再開発について制約多く生じていた。高度経済成長期以降人口流出財政難深刻化し、特に公営事業宮島水族館宮島競艇会計長期積立金取り崩して一般財源不足分宛てていた慣行問題視された。なかでも2004年平成16年3月8日には地方自治法に基づき広島県から財政運営健全化するよう勧告を受けるほどの危機的状況であったこのため宮島町平成の大合併において合併特例債当て込んだ合併論議渦中におかれた。 2003年平成15年3月当時小田和宣町長対岸大野町とともに廿日市市合併協議に関する申し入れ行った。だが町民の間では、廿日市市よりも遠方ではあるが知名度のある広島市合併すべきであるという意見も根強かった。これは「宮島町」という知名度のある名称が消えことによる観光振興上の懸念代表する意見であった一方で廿日市大野地域とは上下水道ごみ収集などのインフラ面で既に基盤を共にしており、行政サービス充実重視する立場からは廿日市市との合併が望ましいとする意見も有力であり、「廿日市市広島市か」は町を二分する論争発展した同年5月宮島町議選(定数10)では合併先が最大争点となり、廿日市市派6人、広島市派4人という結果になったが、有効得票の44.8パーセント獲得した広島市派は住民投票による直接採択主張し廿日市市との合併協議は一旦中断した。 2004年平成16年8月22日合併相手廿日市市とするか、広島市とするかを問う宮島町住民投票実施された。結果廿日市市票917、広島市711無効票5。206票差で廿日市市合併相手決定したその後同年11月法定協議会設置され、翌2005年平成17年2月に両市・町議会合併議決県議会議決総務大臣告示経て2005年平成17年11月3日廿日市市合併し町域廿日市市宮島町となった

※この「合併をめぐる経緯」の解説は、「宮島町」の解説の一部です。
「合併をめぐる経緯」を含む「宮島町」の記事については、「宮島町」の概要を参照ください。

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