合併まで名護町だった地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:30 UTC 版)
大兼久(おおがにく)→名護(なご) 大半の地域が1989年 - 2000年に住居表示実施で以下の区名がそのまま町名となった。東江(あがりえ) 1989年に住居表示実施、1 - 5丁目となる(ただし5丁目は合併後に埋立て) 大北(おおきた) 2000年に住居表示実施、1 - 5丁目となる 大中(おおなか) 1999年に住居表示実施、1 - 5丁目となる 大西(おおにし) 1998年に住居表示実施、1 - 5丁目となる 大東(おおひがし) 1996年に住居表示実施、1 - 4丁目となる 大南(おおみなみ) 1996年に住居表示実施、1 - 4丁目となる 城(ぐすく) 1991年に住居表示実施、1 - 3丁目となる(ただし3丁目は合併後に埋立て) 港(みなと) 1991年に住居表示実施し、1・2丁目となる(ただし2丁目は合併後に埋立て) 宮里(みやざと) 1993年に1 - 6丁目、2000年に7丁目とそれぞれ住居表示実施(ただし2丁目は合併後に埋立て)。未実施地域もある。 喜瀬(きせ) 許田(きょだ) 幸喜(こうき) 数久田(すくた) 為又(びいまた) 世富慶(よふけ)
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