可児の体育理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 02:17 UTC 版)
可児徳は永井道明と対極の位置にいたが、体育によって国家の伸長を図る人物の陶冶を目指すという根本を同じくしており、その方法論をめぐっての対立であった。すなわち、スウェーデン体操を説く永井に対して、可児は競技と遊戯(スポーツ)を説いたのである。可児の理論は経済教育論を反映したものであり、大正自由教育運動の流れにも沿ったものであった。 可児は競技と遊戯の大衆化が国民の体力を増強し、富国強兵につながると考え、これが実現しなかった場合、国家滅亡の危機となると説いている。またそのために国費や府県費で運動場を整備すべしと訴え、さらに、児童の遊戯にみだりに干渉しない、1つの競技を継続させすぎると教育効果が減じる、学校の中心となる競技「校技」と学級の中心となる「級技」を定め学校・学級の文化としてのスポーツを創造すべしと説いた。その上で永井が取りまとめた「学校体操教授要目」の画一主義的・形式主義的な性格を批判し、競技と遊戯によってその不足を補わなければならないし、競技と遊戯を取り入れることが時代の要求であると主張した。可児は永井の体育を「上等兵が新兵を扱うよう」だと評し、永井が重視した肋木によって奇形児が出たと主張している。 可児の体育理論を端的に言えば、スポーツをすることで身体のみならず精神にも効果があるということである。この理論自体は可児固有のものではないが、可児は特に生徒の個性の発達を前提として、自治性・自発性を促進させる心的作用を強調した。そのことは以下の言葉にも表れている。 規律訓練と云うが学校で揃って歩くのが規律でもあるまい、児童生徒が各自守る可き所を何處何處も守るのが規律である。(中略)教師が意の如く揃って動かぬのが不規律と考えるのは誤っている。児童生徒の体育が根本目的である。 — 可児徳「遊戯の価値」1919年 可児はこのほか、障碍者の体育に関する論文も執筆している。
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