可児と岐阜
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可児が岐阜県に住んでいたのは斐太中を卒業するまでであるが、岐阜県との縁は晩年まで続いた。1919年(大正8年)には『岐阜県教育』という冊子にアメリカ留学経験を2号連続で寄稿している。加子母村(現・中津川市)出身の内木玉枝が創立した中京裁縫女学校の後身である中京高女(現・至学館高等学校・至学館大学)に「家事体操専攻科」を設置する際には可児が初代体育教員に着任し、後に同校は女子レスリングのオリンピック選手を多数輩出することになる。また可児が校長に就任した国華高等女学校は、内木玉枝の兄・内木保が創立した学校である。可児が中京高女の体育教師であったことは、至学館大学の越智久美子が発見し、可児の故郷にある苗木遠山史料館へ照会したことから、同館では可児の調査に乗り出した。 1950年(昭和25年)の藍綬褒章受章記念の乃木希典の漢詩を書いた自筆の書に、「霞城徳」という雅号を添えている。霞城とは、故郷にある苗木城が「霞ヶ城」の別名を持っていたことにちなむものと考えられ、可児が故郷への思いを抱き続けていたことが窺える。この書は可児の姉の嫁ぎ先の石川県金沢市の親族から故郷の中津川市苗木遠山史料館へ寄贈され、2019年(平成31年/令和元年)の大河ドラマ『いだてん』に可児が登場するのに合わせて同館で公開された。可児の孫によれば、可児は何本も太い筆を持っていたという。 中津川市では可児の功績は元より、名前さえ忘れ去られていたが、『いだてん』を機に可児の功績を伝えようとする動きが広がり、3月には市観光課が可児を紹介するチラシを作成し、同年6月には市と市教育委員会の主催で「可児徳杯小学生ドッジボール大会」が開催された。『いだてん』で可児を演じた古舘寛治は、市の依頼を受け「可児徳杯」の大会タイトルを揮毫し、参加者へ応援のメッセージ動画を送っている(動画は、開会式で流された)。
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