受賞作「生きる者の記録」補足
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「萩尾信也」の記事における「受賞作「生きる者の記録」補足」の解説
「生きる者の記録」は、毎日新聞社・東京社会部専門編集委員であった佐藤健記者(1942年群馬県生まれ)と萩尾以下取材班4名が、2002年12月3日から同年12月31日まで毎日新聞に連載した、末期ガン患者(佐藤健記者自身)の闘病記。2003年3月15日に同記事をまとめたものが、同名の書籍として出版もされている。「末期ガンになった者しか書けないルポを残したい」というジャーナリスト・佐藤健の強い思いが出発点となり、特別プロジェクト(記者の中途折筆を考慮した看取り取材班)が組まれ、ルポルタージュがスタートした。2002年11月に60歳の定年退職を迎える佐藤健であったが、企画のための異例措置が取られ定年を延長して執筆にあたった。佐藤健は連載途中に折筆(2002年12月28日逝去、享年60)した。 佐藤健が、最初に肝臓ガンの告知を受けたのは2001年8月20日。入退院を繰り返しながら、シルクロードへルポ旅行にも出かけ「阿弥陀が来た道 百年目の大谷探検隊」等の記事連載を結実させている。そして、肝臓ガン告知から9か月後の2002年5月7日、転移した食道ガンがすでに第4ステージ(末期症状)にあり、長くみても余命1年である旨医師より告知を受け余命幾許もないことを知る。佐藤は、最後のルポルタージュとして自身のガン闘病記を企画し、12月3日から毎日新聞朝刊に「生きる者の記録」をスタートさせた。ところが、連載開始直後に佐藤健の右手が動かなくなり、以降、看取り取材班の萩尾が口述筆記を引き受け連載を継続させた。その時「悔しいが、僕にはもう原稿をこの手で書き続ける力がなくなった。これからは君に口述筆記を頼みたい。苦労をかけるが付き合って欲しい」「もちろん、とことんお付き合いしますよ」という会話が、佐藤健と萩尾信也の間にあったという。 2002年12月26日、佐藤健の様態が急変したため、以降全ての記事執筆を萩尾が引き継いだ。書籍は、2002年12月3日〜2002年12月31日に亘り毎日新聞朝刊に連載された「生きる者の記録」(萩尾の口述筆記及び引継執筆記事も含め)を加筆したものに、佐藤健記者の代表作「新聞記者が雲水になってみた」(1976年、毎日新聞刊『宗教を現代に問う3』に収録)を加え、萩尾と取材班が編集したものである。取材班は以下の4名。萩尾信也(社会部編集委員)、中井和久(社会部副部長)、瀬川至朗(科学環境部副部長)、滝雄一(写真部編集委員)。(出典・書籍「生きる者の記録」ISBN 4-620-31625-3 より)
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