受賞作「生きる者の記録」補足とは? わかりやすく解説

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受賞作「生きる者の記録」補足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:22 UTC 版)

萩尾信也」の記事における「受賞作「生きる者の記録」補足」の解説

生きる者の記録」は、毎日新聞社東京社会部専門編集委員であった佐藤健記者1942年群馬県生まれ)と萩尾下取材班4名が、2002年12月3日から同年12月31日まで毎日新聞連載した末期ガン患者佐藤健記者自身)の闘病記2003年3月15日に同記事をまとめたものが、同名書籍として出版もされている。「末期ガンになった者しか書けないルポ残したい」というジャーナリスト佐藤健の強い思い出発点となり、特別プロジェクト記者中途折筆を考慮した看取り取材班)が組まれルポルタージュスタートした2002年11月60歳定年退職迎え佐藤健であったが、企画のための異例措置取られ定年延長して執筆あたった佐藤健連載途中に折筆(2002年12月28日逝去享年60)した。 佐藤健が、最初に肝臓ガン告知受けたのは2001年8月20日入退院を繰り返しながら、シルクロードルポ旅行にも出かけ「阿弥陀が来た道 百年目大谷探検隊」等の記事連載結実させている。そして、肝臓ガン告知から9か月後の2002年5月7日転移した食道ガンがすでに第4ステージ末期症状)にあり、長くみても余命1年である旨医師より告知を受け余命幾許もないことを知る。佐藤は、最後ルポルタージュとして自身ガン闘病記企画し12月3日から毎日新聞朝刊に「生きる者の記録」をスタートさせた。ところが、連載開始直後佐藤健右手が動かなくなり以降看取り取材班の萩尾口述筆記引き受け連載継続させた。その時悔しいが、僕にはもう原稿この手書き続ける力がなくなったこれから君に口述筆記頼みたい苦労をかける付き合って欲しい」「もちろん、とことんお付き合いしますよ」という会話が、佐藤健萩尾信也の間にあったという。 2002年12月26日佐藤健様態急変したため、以降全ての記事執筆萩尾引き継いだ書籍は、2002年12月3日2002年12月31日に亘り毎日新聞朝刊連載された「生きる者の記録」(萩尾口述筆記及び引継執筆記事含め)を加筆したものに、佐藤健記者代表作新聞記者雲水になってみた」(1976年毎日新聞刊『宗教現代に問う3』に収録)を加え萩尾取材班が編集したのである取材班は以下の4名。萩尾信也社会部編集委員)、中井和久社会部副部長)、瀬川至朗科学環境部副部長)、滝雄一(写真部編集委員)。(出典書籍生きる者の記録ISBN 4-620-31625-3 より)

※この「受賞作「生きる者の記録」補足」の解説は、「萩尾信也」の解説の一部です。
「受賞作「生きる者の記録」補足」を含む「萩尾信也」の記事については、「萩尾信也」の概要を参照ください。

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