収録と遺産
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「想い出のサンフランシスコ」の記事における「収録と遺産」の解説
ベネットがこの曲を初めて収録したのは1962年1月23日のことで、30番街のCBSのスタジオで吹き込んだのだった。最初、この曲はCBSから『Once Upon A Time』のB面として発売された。しかし、A面は全く注目されず、ディスクジョッキー達はレコードを裏返してB面の『想い出のサンフランシスコ』をかけるようになった。その結果、1962年のポップス曲のチャートでヒットとなり、その他のいろんなチャートにおいてもほとんど一年の間チャートインし、最終的にゴールド・ディスクとなった。そして、その年のグラミー賞で最優秀レコード賞と、最優秀男性ソロ・ヴォーカル賞を受賞したのである。2001年には、アメリカレコード協会ならびにアメリカ国家芸術基金が制定した、アメリカ国内で最も歴史的な意義があるとされる20世紀の歌曲のリスト「世紀の歌」で23位に入っている。 この曲はコンサートのみならず、特別な機会に歌われることもある。その中でも良く知られているものを、以下に列挙する。 アメリカンフットボールのNFLにおいて、1970年シーズンのNFCチャンピオンシップゲームでサンフランシスコ・フォーティナイナーズとダラス・カウボーイズが対戦した時。この試合は、フォーティナイナーズがキーザー・スタジアムで行う最後のホームゲームでもあった 1987年5月のゴールデンゲートブリッジ開通50周年記念式典 1989年10月のロマ・プリータ地震で損傷を受けたサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジの通行再開時 野球のメジャーリーグベースボール(サンフランシスコ・ジャイアンツ)2002年のワールドシリーズ第3戦でジャイアンツとアナハイム・エンゼルスが対戦した時 2010年のワールドシリーズ第1戦でジャイアンツとテキサス・レンジャーズが対戦した時 2012年のワールドシリーズでジャイアンツがデトロイト・タイガースを下して優勝し、10月31日のハロウィン当日にサンフランシスコ市庁舎前でパレードが行われた時 ベネットの歌は、ジャイアンツの本拠地AT&Tパークで同球団が勝利した時に必ず、またアイスホッケーのECHLにおいてサンフランシスコ・ブルズが本拠地カウ・パレスで試合した際には勝ち負けにかかわらず、場内放送で流された。 ベネットがこの曲について語ったことがある。 「この曲のおかげで私は世界市民となれた。この曲のおかげで、世界中どこに行っても働いて歌うことが可能となった。この曲のおかげで私は生きていくことができたのだ。この曲は私の人生すべてを変えてしまった」 2000年代に入ってからのベネットのコンサートでは、コンサートの中程にさしかかった頃、いかにもこの曲にちょうどよい頃合いを見計らって演奏されている。この曲が終って観客が拍手喝采しているところで照明が照らされる、という演出が行われる。拍手がようやくおさまると、照明が落とされてショーが再開されるのである。2006年11月8日には、ベネットは『ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ』に出演し、この曲を歌っている。ベネットは、1962年にこの曲が最初に発売された時、この曲を初めて歌ったのは、『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』だった、それもそのショーの第一回目だったのだ、と述べている。ソングライターの殿堂は、ベネットのこの曲の歌唱に対して「偉大なる演奏」賞を与えている。
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