南海電鉄天下茶屋駅列車衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「南海電鉄天下茶屋駅列車衝突事故」の解説
1968年(昭和43年)1月18日 17時17分ごろ、南海電気鉄道の春木発難波行き臨時急行電車(11001系5両編成)が天下茶屋駅ホーム通過後、停止信号を無視して進行、別方向に開通していた分岐器を割り出し、その先の分岐器から分岐側に進入して、出発待機していた回送電車(モハ561形 2両編成)に正面衝突した。急行の先頭2両と回送の先頭1両が脱線し、急行電車の旅客と双方の乗務員合わせて296名が負傷した。 直接原因は、急行運転士の信号無視と制動操作の誤りとされたが、競輪・競馬(競輪場のほか、1974年まで春木競馬場があった)の観戦客輸送で急行通過が10分程度遅れていたことを理由として、回送電車の出発を優先して急行に停止信号を出した駅員の運転取扱いも問題とされた。 南海電鉄は前年4月の男里川橋梁列車脱線転落事故と7月の箱作駅構内列車衝突事故に続き、1年以内に重大事故を3度も引き起こしたため(これらは「南海3大事故」と呼ばれており、同社の安全報告書にもその記述がある)、この事故を重くみた近畿陸運局(現・近畿運輸局)は南海に警告書を出し、また同業他社および各方面からもその体質を厳しく批判されることとなった。
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