南極発見前史とは? わかりやすく解説

南極発見前史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/12 13:39 UTC 版)

南極の歴史」の記事における「南極発見前史」の解説

西ヨーロッパにおいては南方大陸伝承長い間伝えられていた。これは、南半球未知巨大大陸存在しているという伝承で、多く探検家がこの大陸発見試みたギリシャプトレマイオス紀元150年ごろに描いた地図には、世界最南端位置する場所に「未知南の大陸」が記され思索的にはギリシア時代には既に南極大陸可能性指摘されていた。 その後南の海最初に「氷」を見たのはポリネシア人だったとされるクック諸島ラロトンガ島に伝わる伝承には「650年、ウィ・テ・ランギオラは南太平洋カヌー航海中に暴風雨流され、氷の浮かぶ海に達した」との記述見られる1513年作成オスマン帝国海軍提督ピリ・ムハメドの地図ウェッデル海からクィンモード・ランドにかけての海岸線南アメリカ大陸に繋がる形で描かれているように見える。これが通称ピーリー・レイースの地図であるが、南極大陸描いたものではなく地図上のスペースに収まるように南アメリカ大陸海岸線描いたものとする解釈一般的である。 15世紀大航海時代に入ると、ヨーロッパ人にとって未知海域であった南半球への航海活発に行われるうになるフェルディナンド・マゼラン1520年発見したマゼラン海峡南側陸地当時ティエラ・デル・フェゴ(現在はフェゴ島)と呼ばれ求めていた南の大陸であろう考えられていた。その後1577年、この説はフランシス・ドレークによってティエラ・デル・フェゴはただの島であった事が決定付けられる16世紀後半に入ると各国航海者持ち帰る情報元に新しい地図作られていったゲラルドゥス・メルカトルによって1569年出版され地図にはティエラ・デル・フェゴやオーストラリア含めた「テラ・オーストラリス・ノンドゥム・コグニタ」と名付けられ南の大陸記されている。この地図後世大きな影響与えアブラハム・オルテリウス地図日本の「世界地図屏風」などにもその大陸痕跡認められるフランスジャン=バティスト・シャルル・ブーヴェ・ド・ロジエは、ブーベ島発見し多数卓状氷山存在報告した1739年)。1772年から1775年にかけてジェームズ・クックが行った探検により、巨大大陸可能性否定された。この探検において、クック1773年1月17日人類として初め南極圏入り東経39度)、1774年1月30日には西経10654分で南緯7110分まで達したが、南極大陸発見する事は無かった

※この「南極発見前史」の解説は、「南極の歴史」の解説の一部です。
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