南極大陸横断を夢見て〈冬期エベレスト南極〉とは? わかりやすく解説

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南極大陸横断を夢見て〈冬期エベレスト・南極〉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:15 UTC 版)

植村直己」の記事における「南極大陸横断を夢見て〈冬期エベレスト・南極〉」の解説

1979年6月6日中国政府招待されて、チベットラサ入った同年8月アメリカ国立科学財団から、「植村南極での計画アメリカ合衆国協力できない」との最終回答があった。 同年12月ネパールのカラタパール(標高5,400m)に入り、約1か月間、冬期エベレスト偵察した1980年エベレスト冬期登頂構想するが、単独での登頂は困難と考え明治大学山岳部OB主力とした「日本冬期エベレスト隊」を編成し植村隊長となった同年2月18日エベレスト冬期初登頂ポーランド隊が成功し植村先を越された。 同年4月下旬から約3週間冬期エベレスト山行の準備のため、ネパール滞在した冬期エベレストトレーニングとして、冬期アコンカグア南アメリカ最高峰)に挑戦するため、同年7月11日日本発った8月5日ベースキャンプ入り8月13日松田研一阿久津悦夫と共に、第2登に成功した。しかし、計画していた頂上でのビバーク訓練断念した植村39歳同年10月30日エベレスト冬期登頂目指して、日本出発したポーランド隊に先に冬期登頂されたことにより、植村の隊は登攀以外に学術的な性格併せ持つこととなった登攀隊員6人、学術5人、報道6人)。12月1日ベースキャンプから登攀開始した。しかし、翌1981年1月12日標高7,100m地点登攀隊員竹中昇死亡し、また悪天候阻まれ同年1月27日登頂断念した同年2月14日帰国した植村40歳。 同1981年南極大陸3,000km犬ぞり単独行南極大陸最高峰ビンソン・マシフ単独登頂計画について、アルゼンチン軍協力得られることとなった。ただし、3,000km犬ぞり単独行については、アメリカ協力得られないため南極大陸横断不可となったことから、ビンソン・マシフまでの往復での3,000kmとなった同年12月テレビ雑誌取材のため、アルゼンチン訪問し南極のマランビ基地7日間滞在した1982年1月24日南極3,000km犬ぞり単独行ビンソン・マシフ単独登頂挑戦するため、日本出発した同年2月10日アルゼンチン最南端の港であるウシュアイアから砕氷船イリサール」で出港し2月13日南極半島にある同軍のサンマルチン基地到着した。同基地待機し出発を待つが、3月19日フォークランド紛争勃発し同年12月22日、軍が協力撤回したため断念した1983年3月16日、約1年間南極生活を終えて帰国した植村42歳

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