北陸時代とは? わかりやすく解説

北陸時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 15:38 UTC 版)

諏訪蘇山 (初代)」の記事における「北陸時代」の解説

1873年明治6年4月田屋徳次初め陶画学び1875年明治8年2月上京工部省教師フェノロサ邸隣に住んで美術工芸学び、また大学校教師ゴットフリード・ワグネル化学学んだ1876年明治9年2月大井村工場設立し橋本雅邦久保田米僊等を招いて陶像、石膏像の製作、模型の捻造を行った1877年明治10年8月瀬戸京都製陶所視察し九鬼隆一従い奈良正倉院法隆寺古美術鑑賞した1878年明治11年7月福井県坂井港で製陶改良携わり1880年明治13年9月石川県江沼郡九谷陶器会社陶芸教え傍ら、陶像置物考案し1884年明治17年1月帰京した1884年明治17年6月石川県工業考案者任じられ1886年明治19年高岡町鉄瓶蝋型改良従事した1887年明治20年7月19日金沢区工業学校補助教員となり、1888年明治21年6月石川県銅器会社蝋型改良携わった第四高等中学校開校に当たり、煉瓦調達のため上京して直接文部大臣森有礼相談し技師久留正道協力7月河北郡法光寺煉瓦製造した1889年明治22年4月1日石川県立工業学校助教諭試補となり、1892年明治25年4月1日彫刻教員仮免許を受け、4月4日助教諭進んだ1893年明治26年大病から蘇生し山と号した1896年明治29年11月30日休職し福井県丹生郡宮崎村字小層原の山内伊右衛門工場陶芸教え土管製造場を監督した1897年明治30年3月12日金沢市八木煉化工場主管として煉瓦窯を設計1898年明治31年2月富山県伏木煉瓦株式会社場長技術長転じ1899年明治32年12月辞職した

※この「北陸時代」の解説は、「諏訪蘇山 (初代)」の解説の一部です。
「北陸時代」を含む「諏訪蘇山 (初代)」の記事については、「諏訪蘇山 (初代)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「北陸時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北陸時代」の関連用語

北陸時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北陸時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの諏訪蘇山 (初代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS