北村の本業離れと多角化
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「イタリヤード」の記事における「北村の本業離れと多角化」の解説
北村は1992年(平成4年)に、ニュービジネス協議会の「アントレプレナー大賞」を受賞し、イタリヤード本社ビル竣工を果たした。その後も快進を続けるイタリヤードには、1994年(平成6年)に、大阪証券取引所第2部および京都証券取引所への上場提案が舞い込んできた。この状況において、「社長である自分が始終、会社におって、ああやれこうやれと指示を出さなくとも、もうイタリヤードはうまく運営できると思った」北村は、「会社のことはそっちのけ」で「京都若衆会」を結成し、その年に京都市で行われた「平安建都1200年記念事業」のボランティア活動に熱中した。 どうも私は、事業が一定の軌道に乗るまでは、わき目も振らず全力で走り続ける。できた時には既に燃え尽きてしまっている。その反動で、事業がうまく走りだしたなと思えば、とたんに関心が失せてしまう。そして、まだ見ぬ次なる事業、目標へと心が駆り立てられてしまう。そしてまた、それを完遂しようと全力で走り始める。そんな性分のようです。(中略)イタリヤードという軌道に乗った事業については、むしろ創業者なんかいなくたってうまく回っているのが何か格好ええと思った。いやそう勘違いしたんやね。 — 北村陽次郎、日経ビジネス第1155号 p.206 1995年(平成7年)に株式上場を果たし、立志伝中の人物とみなされた北村は「室町の風雲児」や「ベンチャーの旗手」と呼ばれたという。2,880円を公募価格と決めて売り出したところ買いが集まり、初値3,210円、その日の終値は3,330円をつけた。この時期から、北村は会社としての資産運用を開始。大手証券会社の支店長だった人間の勧めにのって、地理情報システム関連会社に30億円近く投資したものの、業績は思うように伸びず、大きな損失を出した。 他方、北村は「消費者への和服価格への不信感をいかに払拭するか」という観点に立ち、京都市下京区四条西洞院に建つ商家跡約600m2を買収し、4億円以上を投じて京町家風の店舗に改装。1996年(平成8年)に、和服の購入経験のない層をターゲットに絞った和装店「京のきもの屋」を開設した。呉服としては手ごろな価格に設定できたことから、立ち上がりは順調だった。 衰退色濃厚となった2000年(平成12年)にもその動きが止むことはなく、東京在住の知人による「京都は、遊び方がよく分からない」との声をヒントに、インターネットで京都のまちやお薦めの店舗を京都人の視点から案内する百華事店(ひゃっかじてん)株式会社を設立している。
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