北村の本業離れと多角化とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 北村の本業離れと多角化の意味・解説 

北村の本業離れと多角化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 08:59 UTC 版)

イタリヤード」の記事における「北村の本業離れと多角化」の解説

北村1992年平成4年)に、ニュービジネス協議会の「アントレプレナー大賞」を受賞しイタリヤード本社ビル竣工果たしたその後も快進を続けイタリヤードには、1994年平成6年)に、大阪証券取引所第2部および京都証券取引所の上提案舞い込んできた。この状況において、「社長である自分始終会社におって、ああやれこうやれと指示を出さなくとも、もうイタリヤードはうまく運営できる思った北村は、「会社のことはそっちのけ」で「京都若衆会」を結成し、その年に京都市行われた平安建都1200年記念事業」のボランティア活動熱中した。 どうも私は、事業一定の軌道に乗るまでは、わき目も振らず全力走り続ける。できた時には既に燃え尽きてしまっている。その反動で、事業がうまく走りだしたなと思えばとたんに関心失せてしまう。そして、まだ見ぬ次なる事業目標へと心が駆り立てられてしまう。そしてまた、それを完遂しようと全力走り始める。そんな性分ようです。(中略イタリヤードという軌道に乗った事業については、むしろ創業者なんかいなくたってうまく回っているのが何か格好ええと思ったいやそう勘違いしたんやね。 — 北村次郎日経ビジネス第1155号 p.206 1995年平成7年)に株式上場果たし立志伝中の人物とみなされ北村は「室町風雲児」や「ベンチャー旗手」と呼ばれたという。2,880円を公募価格決めて売り出したところ買いが集まり初値3,210円、その日終値は3,330円をつけた。この時期から、北村会社としての資産運用開始大手証券会社支店長だった人間勧めにのって、地理情報システム関連会社30億円近く投資したものの、業績思うよう伸びず、大きな損失出した他方北村は「消費者への和服価格への不信感をいかに払拭するか」という観点に立ち、京都市下京区四条西洞院に建つ商家跡約600m2を買収し、4億円以上を投じて京町家風の店舗改装1996年平成8年)に、和服購入経験のない層をターゲット絞った和装店「京のきもの屋」を開設した呉服としては手ごろ価格設定できたことから、立ち上がり順調だった衰退濃厚となった2000年平成12年)にもその動きが止むことはなく、東京在住知人による「京都は、遊び方がよく分からない」との声をヒントに、インターネット京都のまちやお薦めの店舗京都人の視点から案内する百華事店(ひゃっかじてん株式会社設立している。

※この「北村の本業離れと多角化」の解説は、「イタリヤード」の解説の一部です。
「北村の本業離れと多角化」を含む「イタリヤード」の記事については、「イタリヤード」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「北村の本業離れと多角化」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北村の本業離れと多角化」の関連用語

北村の本業離れと多角化のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北村の本業離れと多角化のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのイタリヤード (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS