勝蔵を描いた作品
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同時代では勝蔵を描いた文学作品に甲斐の書肆「甲西八滝板」から出版された「甲州黒駒勝蔵評判くどき」がある。「甲州黒駒勝蔵評判くどき」は勝蔵が岐阜の水野弥太郎のもとへ身を寄せ、池田勝馬と名を改め官軍に加わるまでの出来事を記している。「甲西八滝坂」については不明であるが慶応2年(1866年)に発生した水害について記した「新板出水くどき」などの出版物を刊行しており、富士川舟運に関係する現在の南アルプス市に所在した書肆であると考えられている。 近代における勝蔵に関する本格的評伝は、堀内良平が1943年(昭和18年)に軍事界社から出版した『勤王侠客 頃駒勝蔵』(『勝蔵伝』)がある。堀内は勝蔵と同じ上黒駒村の出身で、山梨県議会議員・衆議院議員を務め富士山麓電気鉄道(富士急行)を設立した実業家。堀内は『勝蔵伝』の執筆に際して現地における聞き取り調査などを行っており、今日では知り得ない情報を多く含んだ評伝となっている。また、これに先立つ1924年(大正13年)には『都新聞』で連載された松田竹の嶋人『黒駒の勝蔵』があり、同書の出版は堀内良平が松田に依頼し、関係資料を提供したという。 そのほか、勝蔵について描いた小説に、子母澤寛『富嶽ニ景-次郎長と勝蔵-』がある。子母澤寛は『勝蔵伝』の執筆に際した堀内良平の調査にも同行しており、『富嶽ニ景』は勝蔵を主人公に、富士山を挟んで対峙した勝蔵と清水次郎長を対比させた作品で、1965年(昭和40年)4月25日から同年10月15日まで、全172回にわたって読売新聞に連載された。原題は「次郎長と勝蔵」。単行本は東京文芸春秋新社より刊行された。 戦後には結城昌治による小説『斬に処す-甲州遊侠伝-』がある。1971年(昭和46年)、「週刊アサヒ芸能」5月6日号から12月21日号にかけて連載された。善玉清水次郎長、悪玉黒駒勝蔵という定説を覆した作品。1972年(昭和47年)1月、徳間書店より単行本として、1978年(昭和53年)に角川書店より「角川文庫」で、2000年(平成12年)に小学館より「小学館文庫」で出版された。
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